2010年7月5日月曜日

幹事長の器

葬式が2つできてしまった。
どちらも良く知っている人で残念に思う。
ご冥福を祈る。

さて昨日、たまたまテレビを見ていたら、枝野民主党幹事長が野党の党首に袋叩きにあっていた。
野党の党首は鬱憤を晴らすが如く、いきり立っていた。
やはり、枝野幹事長は、彼らから軽く見られているようだ。
且つ、枝野氏は、八つ当たり的に各党の批判を繰り返し、多分、自分でも言っていることがだんだんわからなくなってきているのだろう。
党内や支援組織からも、批判が出ているそうで、自ら問題を作り出している状況になってきている。

オリジナル民主党と言われる人達に共通しているのは、野党時代は「与党の批判」「小沢批判」、与党になってからは「小沢批判」と批判をすることで、自分の立ち位置を確保し、テレビ等で目立つことを優先してきた人達で有ることだ。政策においても小沢氏の政策を否定することで「小沢切り」を目論んだが、気がついたら「自民党と政策が一緒だった」という有様である。彼らの政策に魅力が無いことが公になってしまった。

ところが「批判される」立場になると、自分の立場を守ることが最優先され「相手に喧嘩を売る」態度に出てしまう。(なまじっか弁が立つだけに・・・。)所謂「オコチャマ」と呼ばれる所以である。

であるから「連立相手の立場」を考えず国民を「大衆」などという言葉で表現したりと、周りがみえなくなってしまう。
言っていることもコロコロ変わる。信念がない。人を尊敬するという気持ちが見受けられない。何でも前政権や前執行部の責任にすり替える。

小沢前幹事長は、全く逆で「常に批判され、打たれ続けられている」から打たれ強い。
「言い訳はしない」「個人攻撃は余程のことがない限りしない」「政治信念は曲げない」

支援組織や同僚から見た場合、どちらが信用できるかは一目瞭然である。

「反小沢で小沢批判をすれば支持率が上がる」と信じ込んでいる彼らこそ、国民世論が読めない人達である。
菅政権や民主党の支持率が急降下している原因を良く考えてみるといい。
国会議員が国民を「大衆」などという言葉で呼ぶことがどれだけ不遜であるか、良く考えていただきたい。

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