2011年8月24日水曜日

前原氏が抱かえる矛盾とコンプレックス・・・「誠司と金」の問題も抱かえています。

辞めないで居座り続けた菅首相にも困ったものだが、代表選に出馬表明した前原氏には逆に簡単に「辞める」と言いそうな危うさがある。
頭に血が上るのが早そうで「瞬間湯沸かし器」的な性格の持ち主のように見受けられる。
売り言葉に買い言葉で簡単に「辞める」と言いかねない。
おまけに自惚れが強そうで、他人の意見に耳を貸さないだろう。
ある意味、多くの危うさを秘めた議員である。

そもそも、外国人献金問題で自ら辞任したということは、自分で違法性を認めたことに等しい。
かなり以前から献金を受けていたことは間違いなく「献金は知らなかった。」との釈明は説得力に欠ける。それ以外にも暴力団と関係のあるフロント企業からの献金や脱税企業からの献金など、イメージとは裏腹に「誠司と金」のネタは多そうだ。
代表選に出馬する条件を満たしているのかどうか?(個人の勝手ではあるが・・・。)

前原氏を見ていると、どこかにコンプレックスを内包しているように感じられる。
それが一見強気に見える態度に表れている。
小沢さんに対する態度もコンプレックスの裏返しに思えてならない。
昨日の記者会見後の発言に出てきた「小沢史観」なる、意味が良くわからない発言も小沢さんに対し特別の感情を持っていることの表われだろう。

過去にあった偽メール事件に見られるように、何事においても詰めが甘いところが見受けられる。
また、外国人献金問題や暴力団のフロント企業からの献金問題などに見られる脇の甘さも随所に感じられる。小沢さんの「政治と金」に対しての批判がブーメランのように自身に跳ね返ってきそうだ。

彼の一番の欠点は、「器が小さい」ことであろう。
自分より力の有る人、能力のある人を受け入れない。
一言で言えば「器量の狭い利己的人間」・・・こういう人間は損をするという学説があるそうだ。(余談)
これはTOPを目指す人間としての致命的な欠点である。
有能な人材を認められない点は菅首相と良くにている。

もう一点が取り巻きの悪さである。
仙谷、枝野、安住、渡辺周、福山、小宮山洋子、津村・・・etc
弁は立つが  「器量の狭い利己的人間」が集まっている。
「類は類を呼ぶ」である。
今回の代表選における苦戦要因がここにもある。
彼らは菅政権で内閣や党の要職を担ったことはいいが、「実力不足」は露呈するは「偉そうな態度」で反感を買うなど党内での評判は最低である。野党からも馬鹿にされる始末である。
もし前原氏が代表になれば、彼らが今以上に党内で幅を利かせることになる。
今以上に威張るだろう。
このことに我慢できない議員はかなりの数いるはずだ。
今回は前回の代表選のようなわけには行かない。
彼らが党内の中枢を担えば、「挙党一致」は不可能だと感じている議員は多いはずだ。


更にもう一点上げるとすれば、政策が自民党とあまり変わらないことである。アメリカよりの政策推進論者であることである。
①原発維持
②アメリカ中心の外交
③TPP推進
④高速道路無料化反対
⑤農家の個別補償制度反対
⑥郵政改革法案反対
etc
彼の政策はアメリカがどう思うかを判断基準に考えればわかりやすい。
国民が期待し支持した民主党とはかなりかけ離れた思想の持ち主と考えたほうがいい。
そこに大きな乖離と矛盾が生じる。
彼は、そのことについて民主党員及び支持者に説明する必要がある。



早い段階で「解散」を打ち総選挙を行うのではないかという予測もあるが、震災復旧と原発事故収束の目処がたつまでは、解散は無理だ。

自民党は前原氏の「政治と金」の問題を国会で徹底的に追及してくるはずだ。彼の性格でどこまで我慢できるのか・・・。

民主党の議員は、党を壊したくないと思うのなら前原氏を選択すべきではないだろう。
彼と彼らのグループだけでは、党運営も国会運営も選挙対策もまともにできないことがこの1年で明白になったのだから・・・。

1 件のコメント:

通りがけ さんのコメント...

教育について長周新聞の示唆深い記事を抜粋して紹介させていただきたい。
>>http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/jyounetuahurerukyouikuundougahaltuten.html

情熱溢れる教育運動が発展
第33回人民教育全国集会
            教師も生徒も集団主義で成長  2011年8月22日付

 「“みんなのために”で子どもを育てよう!」「戦争に反対し、子どもを勤労人民の後継ぎに!」をテーマにした第33回人民教育全国集会(主催・人民教育同盟)の初日、「子ども、父母、教師のつどい」が21日午後1時から下関市勤労福祉会館で開かれ、教師や父母、小・中・高校生、被爆者、戦争体験者など約250人が参加した。この20年余り政府・文科省が進めてきた「個性重視」「興味関心」の教育改革が完全に破産しているなかで、鉄棒実践や平和教育実践など、子どもへの愛情を基礎に集団的に鍛えていく情熱あふれる教育実践が、教師の集団的なとりくみとして父母や地域の絶大な支持のもとに生き生きと発展している様子が報告された。集会初参加の教師や父母が次次とマイクをにぎり、確信のこもった発言をおこなった。今後の教育運動の展望を示す画期的な教育集会となった。
 
 個人の自由、競争主義と決別
(中略)
 学年全体での鉄棒実践 教師集団の結束が力
(中略)
 頑張ればできると確信 子供や母親も発言
(中略)
 全園児が竹馬に乗れた 幼稚園の実践も報告
(中略)
 難しい計算も目輝かす 農業者に学び成長
(中略)
 広島に学ぶ平和の旅 小中高生が発表  同じ目標で固い絆 

 休憩をはさんで、後半は「広島に学ぶ小中高生平和の旅」の子どもたちによる意見発表と、教師や母親の発言と続いた。北九州の小学6年男子は、平和の旅に行く前に下関駅前でカンパ活動をしたとき、初めてマイクで旅の宣伝をしたことや、母親と一緒に知り合いの人にもカンパをお願いして回り「頑張っておいで」と協力してくれたことをのべた。「広島の被爆者末政さんに話を聞き、“平和は求めるだけではなく、努力して手に入れないといけません。みんながすぐできることは、友だちと仲良くすることです。手をとりあい、平和な日本をつくってください”といわれました。来年も行きたいです」と元気よく発表した。
 続いて防府市の小学6年女子は、今年初めて平和の旅に参加した理由として、原爆や戦争のことについて被爆者の方から学びたかったこと、今福島で問題になっている原発事故について被爆者の方の意見が知りたかったからだと語った。平和の旅で2人の被爆者から体験を聞き「2人とも原爆と原発は形は違っても同じ放射能を出しているといわれました」「これからも平和や戦争について学び多くの人に伝えていきたい」と話した。
 平和の旅リーダーを担った高校2年の女子は、「カンパ活動で1昨年、宇部の商店街を回ったが、“あなたたちは、カンパだけもらってあとはなにもない”ときつく断られた経験があり、昨年はお礼のビラと報告集を持っていき、今年もお願いに行くと気持ちよくカンパをいただいた。活動を継続することの大事さを知った。小学3年のときから旅に参加して、リーダーとしての参加は2度目だが、最初は騒がしくしていた小さな子どもたちが、構成詩の練習や本番はやる気が感じられ、市中行進の大きな声に感動した」と語った。また福島の子どもたちが甲状腺の被曝をしているのに政府は「問題ない」という態度であることに怒りを持ち、そういう子と同じ気持ちで平和の会や平和の旅の活動を頑張ると決意をのべた。
 同じくリーダーの高校2年の男子は、昨年の教訓をふまえて先生やリーダー同士で連絡をとりあって準備が進められたこと、「今年は東日本の震災があり、若い世代の活動もどんどん盛り上がっているなかで、パンチのきいた構成詩をしようといろいろ考えた。僕はこれまで、なにかにつけて前のリーダーの真似や決まったことのように活動してきたが、物事はいろいろ変わるし、必要に応じて自分を変え、あわせてやっていかないといけないと学んだ」とのべた。そして「被爆者の方方やまじめに働いて世の中を支えているお父さん、お母さん、たくさんの方方の思いをこれからもっと真剣に受けとめて、平和の会の活動を全力でとりくんでいきたい」と決意をのべた。
 高校3年女子のリーダーは、「今年の旅は原爆のことについてだけではなく、原発について学ぶことも重要な点だった。唯一の被爆国である日本に原発があること、国の不透明な発表に強い怒りを持ち、“核自体を廃絶しなければいけない”と強く感じた」とのべた。小学4年生から平和の旅に参加するなかで少しずつ成長できたこと、卒業してもできることからやっていきたいとのべた。

 子供の力を引出す役割 引率教師も親も感動
(中略)
 次に平和の旅に初めて参加した20代の女性教師が発言。祖母は原爆投下の1カ月前まで広島市内の駅で働き、祖父はシベリアに出兵した経験を持っているが、「戦争や原爆は恐ろしいもの」という恐怖心から自分自身が学ぼう、知ろうという気持ちにならなかったこと、しかし平和の旅に参加して、「被爆者の話は耳を塞ぎたくなるほどの内容だったが、大人になって改めて聞くと、恐ろしさだけでなく怒りや悲しみ悔しさが胸の内にわいてきた」とのべ、教師として自分ができることはなにか考えるようになったと語った。また、教師の子どもたちへのかかわり方について「教育現場では“厳しく”指導するということがためらわれる場面が多い。校長や多くの先生、保護者の目を気にして子どもには優しく、優しく接しなければならない。しかし平和の旅の先生は、子どもたちに対して本当に厳しく指導していた。子どもたちの可能性を信じているからこその指導方法だと感じた」と新鮮な感動を語った。また「平和の旅に参加して一番変わったのは自分だった。もっと知り、子どもたちに伝えなければならないことがあるはずだ。“恐ろしいから知りたくない”ではなく“恐ろしいものだからこそ、学び伝えなければならない”と思うようになった。東日本大震災・原発事故についても同様だ。心の中で思っているだけでなく自分なりに行動すべきだと思う」と力強くのべた。
 小学6年の娘を初めて旅に参加させた母親は、平和の旅の活動と担任の教師の「サラリーマン教師」とは違う熱心さに心をうたれ、知り合いや近所のスーパーの人たちにもカンパを訴えると、「いいことをしているね」と励まされたことを喜びをもって語った。また活動を通じて自分の母親が話していた宇部空襲の体験を思い出し、今後は子どもたちにも伝えていき、来年は親子で平和の旅に参加したいと語った。

 熱のこもる教育に喜び 下関や広島の被爆者

 ここで下関と広島の被爆者が発言に立った。下関原爆被害者の会の大松妙子氏は、未来を担う子どもたちを導く教育に力を注ぐ教師たちの熱意と活動に謝辞をのべ、福島原発事故にふれて「安全ならなぜ避難させるのか、魚や野菜までわけもわからぬ横文字で市民を不安と恐怖に追い込む。私はこの度の原発事故は、神様が地震列島の日本に原発が54基もあることを知らせ、今国民が一致団結し国賊とたたかえと教えていただいたことと思う」とのべ、今の狂った世の中を変える若い世代への強い期待を語った。広島の上田満子氏は13歳のとき被爆し、戦後はひどい差別と貧乏のどん底を生きぬいてきた経験を語り、原爆展を成功させる広島の会への入会をきっかけにして、生かされている限り体験を語り伝えることが自分の務めであり、亡くなった者の供養にもなると積極的に行動していることを語り、「最後まで頑張りたい」とのべた。
 集会の最後に、6年生を担任する20代の女性教師が、地元に住んでいる87歳の引き揚げ体験者を学校に招いて体験を聞き、子どもたちが水をうったように真剣に聞き入った様子を報告した。子どもたちにとって「戦争」という概念があいまいななかで、「戦争は兵隊さんだけがするんじゃない」という体験者の言葉は子どもたちにとって衝撃で、地元にも残酷な戦争の影響が確かにあったという事実が「子どもたちにこれまでにない感情を与えた」と語った。若い教師として、「テクニックでもなんでもなく、人とのつながりが、人の心の温かさや熱い思いが子どもたちに伝わる様子をまのあたりにして、これからも、人とのつながりを大事にし、戦争を知らない世代として、どんな土地にも戦争があったということを子どもたちに伝えていくことの大切さを学んだ」とのべた。
 最後に司会の母親から「この運動を一人でも多くの人に広げよう」と呼びかけられ、感動さめやらぬなかつどいは閉幕した。
(転載了)

Template Design: © 2007 Envy Inc.