2012年4月4日水曜日

消費税増税に関するマスコミ報道の欺瞞性・・・マスコミは誰の味方なのか?

朝日新聞の社説が、話題になっている。
流石に、野田首相を支える政府御用達新聞だけのことはあるが、その内容には「矛盾」が含まれている。

記事:
小沢流―民主主義が泣いている
 西郷隆盛が好きで、大久保利通を尊敬する小沢一郎・民主党元代表は、リーダーシップのあり方を論じるのも好きだ。 
 みずからの政治塾での講義内容をまとめた06年の著書「小沢主義」に、こう書いている。「危機や難局に直面したとき、何よりも必要とされるのはスピーディな決断だ。ぐずぐずと合議に時間をかけ、日本的な『根回し』をやっているうちに危機はさらに深刻なものになる」 
 その10年前の著書「語る」ではこう述べている。「自分たちで選んだ総理なら、少なくとも任期中は総理のやりたいことをやらせるように協力するのが、民主主義のルールだと思う」 
一貫しているのは、国民を率いる強いリーダーシップの確立をめざす姿勢だ。選ばれたリーダーがすべての白紙委任状を得るかのような主張に、私たちは与(くみ)しないが、小沢氏なりの思いは伝わる。
小沢氏は「そもそもの理念、公約に反するような行動をすれば別」との留保もつけるが、その発言からは「リーダーをいったん選んだ以上は、その人物の考える通りに任せる」という考え方が色濃くにじむ。 
 それが「小沢流」なのだとすると、消費増税に反発する現在の言動は、どうにも解せない。
小沢グループの約30人が政務三役や民主党の役職の辞表を出している。小沢氏らにすれば、政権交代した総選挙で訴えていなかった消費増税は公約違反なのだから、阻止に動いても「民主主義のルール」に反しないと言いたいのかもしれない。 
確かに有権者や野党なら、なぜ増税が必要になったのかの説明を求めたり、批判したりするのは当然だ。 
しかし、民主党議員は違う。 
昨夏の代表選で、消費増税を訴えた野田氏が勝ち、首相に就いた。そして暮れの民主党案、3月末の政府案づくりでも、長時間にわたる論議をへて、手続きを踏んで、党として「消費増税」路線を明確にしたのだ。 
結論を出したからには「首相のやりたい消費増税に協力する」ことこそが、政党として守るべき党内民主主義の最低限のルールである。 
結論が不満だからといって、あえて党内に混乱を持ち込むやり方は、筋が通らない。これでは民主主義が泣く。 
 それに、広く国民にリーダーへの協力を求める小沢氏が、いわば身内の国会議員にリーダーへの同調を呼びかけないのは、どうしたことか。 
小沢氏には、わかりやすい説明をしてほしい。
(4月4日 朝日新聞より抜粋)

内容について論説する前に、朝日新聞は、政治が国民に信頼されているのかどうかを先に論ずるべきだ。民主主義が云々と論ずる前提は、政治が機能し、政治に対して国民の信頼があることが前提であろう。
国民の「政治不信」は「春の嵐」どころではない「風速40メートル級の大型台風」並である。
既成政党に対する「政治不信」が、何故こんなにも大きくなったのか?
国民の声を政治に反映させることこそが「民主主義の根本」ではないのか?
この社説には「正式な民主主義の手続きが踏まれたのか」「民主主義の根本は何処にあるのか」という視点が欠けている。
マスコミは、「国民の側の視点」に立ち、報道すべきではないのか。

では少し批判的に解説してみたい。
についてであるが、前段で「自分たちで選んだ総理なら、少なくとも任期中は総理のやりたいことをやらせるように協力するのが、民主主義のルールだと思う」
一貫しているのは、国民を率いる強いリーダーシップの確立をめざす姿勢だ。選ばれたリーダーがすべての白紙委任状を得るかのような主張に、私たちは与(くみ)しないが、小沢氏なりの思いは伝わる。
と書きながら、その直ぐ後で、小沢さんの 「そもそもの理念、公約に反するような行動をすれば別」という言葉を引用している。今回の場合は、正しく、これに該当するのではないのか?
だとすれば、小沢さんの行動に何ら問題があるとは思えないのだが・・・。
についてであるが、 「有権者や野党なら、なぜ増税が必要になったのかの説明を求めたり、批判したりするのは当然だ。」と書いているが、こう書けば「では何故、与党の議員は、増税が必要になったのかの説明を求めたり、批判してはいけないのか 」という反論が出ることは容易に予想できる。なので「しかし、民主党議員は違う」と続く。
更に昨夏の代表選で、消費増税を訴えた野田氏が勝ち、首相に就いた。そして暮れの民主党案、3月末の政府案づくりでも、長時間にわたる論議をへて、手続きを踏んで、党として「消費増税」路線を明確にしたのだ。と続くのだが、この書き方には、明らかな欺瞞が含まれている。
流石に、この社説を書いた記者にも良識が残っていたのか『手続きを踏んで、党として「消費増税」路線を明確にしたのだ。』と書いている。 『手続きを踏んで、党として「消費増税」を決定したのだ。』 とは書いていない。この記者でさえ、民主党内で「正式に決定していない」という認識を心の片隅にもっているのだ。
となると結論を出したからには「首相のやりたい消費増税に協力する」ことこそが、政党として守るべき党内民主主義の最低限のルールである。は、明らかに矛盾することになる。
ここで「結論を出したからには・・・」と書くなら、『手続きを踏んで、党として「消費増税」を決定したのだ。』と書かなければおかしい。明らかに矛盾する。
つまり、この記者の言を借りれば、『党が路線を明確にしただけであって、党としての正式な手続きを元に決定したわけでもない「消費税増税」を政府は、勝手に「閣議決定」した。』ということになる。
党としての民主主義の正式な手続きを踏んでいないのは野田首相の側にあることになる。
『「首相のやりたい消費増税に協力する」ことこそが、政党として守るべき党内民主主義の最低限のルールである。』とあるが、「政党として守るべき党内民主主義の最低限のルール=多数決」を守らないで、審議を打ち切る(=決定をしなかった)という手段を選んだ方にこそ、批判の矛先を向けるべきではないのか。(一任は民主主義の正式なルールではない。党則で決められていれば別だが・・・)
更に「首相のやりたいことに協力することこそが、党内民主主義の最低限のルールである。」という主張は、最初の「選ばれたリーダーがすべての白紙委任状を得るかのような主張に、私たちは与(くみ)しない」という主張と矛盾しないのか・・・。
極論だが、「首相が戦争を始めると言ったら、それに協力することこそが、党内民主主義の最低限のルールである。」と主張できるのか・・・。

このことは、今後の政局にも大きな影響を与える。
消費税増税に反対しても、 『党が路線を明確にしただけであって、党としての正式な手続きを元に決定したわけでもない「消費税増税」で、且つ政府が勝手に「閣議決定」した法案』なわけだから、党として「党議拘束をかけること」も「造反者に対する処分」も行えないと考えるべきだろう。
当然、野党もこの点を衝いてくるだろうし、自見金融大臣の署名が有効か無効かも衝いてくるだろう。消費税法案は、早くも入り口の段階で躓いていると見るべきで、且つ野党も、こんな状態では話合いのテーブルに着けないだろう。

党の執行部は頭を悩ましているに違いない。
しかし、「正論」が「正論」として通らないのが民主党なので、何を言っても無駄かしれないが・・・。





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