2012年5月22日火曜日

民主党政権のこれまでを考える・・・過去の答案の答え合わせをしてみる

政権発足以後政局対して私が過去に書いた案(ブログ記事)答合わせしてみた
100満点とはいかないが70程度の点数は与えてもいいのではないかと思っている。(手前味噌だが・・・)
そのことについて少し解説してみたいと思う。
時々では外れた場面も多々あったが、少し長いスパンでみた場合政局大きな流れそんなにかけ離れてはいない
菅政権長く持たなかったし民主党の支持も伸びなかった寧ろ大きく下がった
党内はグショグショになってしまった。
野田政権以後もその流れに大きな違いは見られない
こうなることは菅政権が発足した時点である程度予測できたことでもある
つまり前首相小沢さんしばらくおとなしくしていた方がいい発言した時点から民主党の混乱は始っていたと考えるべきだろうその後の参議院選挙での惨敗代表選での菅首相の勝利大きな視点からみれば民主党がバラバラになり一つの党としての体裁をなさなくなったことの表れでありその延長現在姿である

小沢一郎という政界の表も裏も知り尽くし、党や政権の動かし方も熟知している政治家を排除し、それどころか党員資格停止処分に追い込むことで政治家としての活動を封じこめ、党から追い出そうとしたことが現状を招いた最大の原因である。
つまり、当時の菅前首相を始め仙谷氏、枝野氏、岡田氏、前原氏、安住氏らの小沢さんから『「党の重要な役職」や「資金配分権」、「選挙の公認権」を始めとする全ての権限を取り上げれば小沢グループはバラバラになり多くの議員が小沢さんの元を離れることで、小沢さんは党にいられなくなり離党するだろう』という勝手な思い込みから始っている。
しかし、逆に彼らは小沢一郎という政治家の亡霊に取りつかれ恐怖に慄くことになる。
その始まりが、菅首相と小沢さんとの民主党代表選挙である。「政治と金」で叩かれ「秘書の逮捕」のみならず自らが検察審査会で強制起訴される可能性がささやかれる中、誰もが立候補できないだろうと思う中での立候補、さらに立ち会い演説会における熱狂的な小沢支持者の声に、彼らは慌てふためくことになる。代表選でも議員票では、ほぼ互角であった。私は、今の政治状況を生み出した最大のポイントがここにあったのではないかと思い直している。この時、小沢さんは勝敗のことを重要視していたようには感じられなかった。寧ろ自分の理念や信念を多くの国民に知ってもらいたかったのではなかったのかと感じていた。
そして、このことは小沢さん自身が民主党に留まり、政権交代の果実を何としても実らせたいという思いを持っていることを多くの人に知らしめたいということでもあったように思う。

菅前首相を始め仙谷氏、枝野氏、岡田氏、前原氏、安住氏らが大きく見誤った最大の要因は何なのか?

それは『絆』だろう。小沢さんと小沢さんを支持する議員、後援者、支持者などとの『絆の強さ』を理解できなかったことだろう。

小沢さんは自分のことだけを考えてはいない。常に支持する議員のことも心に置いている。そのことが、支持する議員たちとの「絆」を強めている。
菅前首相らは「絆」はシンプルで一本の綱を切れば、それで切れてしまうと思い込んでいたに違いない。

しかし、「絆」とはそんなシンプルで簡単に言い表せるものではない。多くの絆が複雑に絡み合っている中で、人と人との信頼や助けあう気持ちが生み出され、そして強くなる。
私も「小沢さんはこんな政党に留まるべきではない」と何度も思った。
しかし、現在では小沢さんが民主党に留まったのは正解だったと思っている。
これから、どうなるかはわからないが、民主党に留まったことはプラスにこそなれマイナスになることはなかったのではないかと思えるようになった。
小沢一郎という政治家の忍耐力には脱帽せざるを得ない。

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