トマト、きゅうり、ナス、西瓜の苗を植えた。今年は暖かいので苗の生育も早い。
草取りや草刈りもしたため、身体の節々が痛い。
歳は取りたくないものである。
さて、フランスの大統領選挙では、事前の予測通り現職のサルコジ氏が敗北し、オランド氏が勝利した。ギリシャの総選挙でも連立与党は大敗北を喫した。(下記ニュース参照)
このギリシャの選挙結果には解説が必要だ。ギリシャは比例代表制で選挙で第一党になった党に別途50議席が与えられる。今回の選挙結果を実質の得票数でみると与党で改選時第2党の新民主主義党(ND)が110議席で第1党になるものの実質の獲得議席は60議席しかない。第1党だった全ギリシャ社会主義運動(PASOK)は41議席と第3党に転落。両党合わせても実質的な獲得議席は100議席程度しかなく、いかに国民の間で緊縮策が支持されていないかが伺い知れる。この傾向はEUの他の国においても同様でイギリスでも連立与党が地方選挙で大惨敗を喫している。
ギリシャ総選挙は反緊縮派躍進
【アテネ共同=小西大輔】欧州財政危機の震源地ギリシャで6日、総選挙が実施された。同国内務省の中間集計(開票率約80%)によると、欧州連合
(EU)などからの金融支援と引き換えに増税などの財政緊縮策を推進してきた連立2与党が合わせての議席を大幅に減らす一方、左派の急進左派連合
(SYRIZA)など反緊縮派が躍進する見通しとなった。2与党が国会(300議席)の過半数を占めるかどうかは微妙。
緊縮策への国民の強い反発が裏付けられた。2与党が過半数を得られなかったり、過半数を得たとしても選挙後の連立交渉が難航したりした場合、ギリシャ支援の枠組み自体が崩壊、財政危機が再燃し世界経済や金融市場に打撃を与える恐れも出てくる。
開票率約80%時点の予想獲得議席数は、与党で改選時第2党の新民主主義党(ND)が110議席で第1党になるものの、第1党だった全ギリシャ社
会主義運動(PASOK)は41議席と第3党に転落。両党は改選前には計201議席だった。反緊縮策を訴えたSYRIZAが11議席から51議席に躍進、
第2党となる見込み。
SYRIZAのツィプラス党首は「緊縮策は負けた。支援合意を白紙に戻すための左派政権を国民は選んだ」と強調。NDのサマラス党首は他党に連立
を呼び掛ける考えを示すとともに「経済成長や国民救済のために支援条件の修正を目指す」と述べ、緊縮策見直しのためにEUなどと交渉する考えを示した。
移民排斥を訴える極右、黄金の夜明け党も初の議席獲得の勢い。
40年近くにわたり政権交代を繰り返してきたPASOKとNDは昨年11月、EUなどによる第2次支援策がまとまるまでとの条件で、前欧州中央銀行(ECB)副総裁のパパデモス首相を支える大連立を組んだ。
(中国新聞より抜粋)
これらの選挙結果をどう分析すべきなのか?
個人的な意見を踏まえながら独自に分析してみたいと思う。
つまり「国民の生活が第一の政治」なのか「EUや共通通貨ユーロの維持が最優先の政治」なのかが問われているのだと思う。
「他国の国民の生活を犠牲にしてでもEUやユーロの崩壊を防ぐ」というドイツ・フランス主導の政策にNOが突き付けられたということでもある。
増税・緊縮政策が、さらなる経済の縮小を生み出し一向に財政再建が進まないことに対する批判の表れでもある。
そして、その根本にあるのが「格差」の問題である。政治はこの問題から逃れられなくなりつつある。なぜかと言えば、この問題に真剣に取り組まない限り「政治への信頼」と「政治の安定化」が生まれないからだ。中小政党の躍進や極右政党の躍進などで政治が混迷を極めれば政治が不安定化し、それこそEUやユーロの崩壊につながりかねない。ある意味、欧州は今、岐路に立たされている。
最近よく聞く歌の歌詞に「一生懸命生きること」という言葉が出てくるが、一生懸命生きようとしても、それが「将来の夢や希望」につながらないことに対する絶望感や不信感が政治に対する不信に、つながっているように思えてならない。
これらのことは、何も欧州に限ったものではない。日本にも、そのまま当て嵌まる部分は多くある。
政府は「財政再建や社会保障制度の維持」を名目に増税を始めとして更なる国民負担を求めている。「日本の将来のため」とか「負担を先送りしない」とか言いながら「既得権益層の利益維持が最優先の政治」を推し進めている。「国民の生活を犠牲」にして、増税やTPP、原発再稼働を強引に進めようとしている。
『しかし、その前にやることがあるだろう。』
それが多くの国民の民意であり、「民意を無視した政治」がどういう結果を招くかは、今の欧州の政治状況をみればわかるのではないか。
以前NHKで放映された「ハゲタカ」というドラマの映画版をレンタルDVDで再度び見た。
その中に「日本も、まだまだ捨てたものではない。」という言葉がでてくるが、今の日本の政治を見ていると、とても、そのような言葉を使う気にはなれない。
日本の社会構造と政治システムに構造的な問題があるように思えてならない今日この頃である。