2010年12月30日木曜日

先が見えない、行き場がない社会の到来!・・・共生の理念で考えよう。

経済、金融、雇用、政治・・・どの分野においても先が見えない、そして行き場のない社会になってきた。
政治の世界で見れば最近の地方選の動向などから「投票したい政党」が見当たらない有権者が増加している傾向が読み取れる。
民主党は信用できない。かといって自民党もダメ。とりあえず今回は「みんなの党」に投票してみるか。
という有権者が多くいるようだ。

なぜこれほどまでに、民主党が地方選で負け続けているのか。
政府の景気対策が具体的に見えてこないことがまず第一にあげられる。
国民の一番の関心は景気であり、将来に対する不安である。
国民生活に直に影響する政策に対する評価が低いからと言い直してもいいのかも知れない。
「政治と金」の問題は国民生活に直に影響するわけではないので、実際には投票行動には大きくは影響しない。ただ、政府に対する不満の行き場がないため、それが「政治と金」の問題に向かっている面は否定できない。

また法人税減税や一部閣僚等からの消費税増税発言など弱者に厳しいというイメージを持たれ始めた事も大きな原因の一つである。
それは閣僚の発言からも感じられる。
典型的なのが仙谷官房長官の「甘受発言」である。沖縄県民に対し「基地を甘んじて受け入れよ」というこの発言は強者の立場からの発言である。仙谷官房長官の発言にはしばしば、同様のニュアンスが感じられる。
菅首相をはじめオリジナル民主党と呼ばれる議員の発言には小泉前首相に似たニュアンスが感じられる。

小泉前首相は、党内に抵抗勢力を作り、表向き官僚と対決する姿勢を見せることで自分を「正義の味方」として演じるだけの演技力があった。当時の自民党は各派閥がまだそれなりの力を持っていた。其の派閥から大臣の任命権を取り上げることで求心力を高めた。
しかし根本的には小泉前首相は「強者の論理」の側の政治家であった。

菅首相、仙谷官房長官を始めオリジナル民主党と呼ばれる議員の方たちは、この小泉前首相の手法を手本にしているように感じられるのだが、当時の自民党と現在の民主党では、党内事情や党内のグループ力学は全然といってもいいほど違う。
残念ながら菅首相に小泉元首相ほどの演技力も派閥力学をうまく使いこなすほどの力量もない。

弱肉強食の自然界では、強者が弱者を食って生きている。
しかし、弱者を全て食べ切ってしまったらどうなるのだろうか。
今度は強者同士の食い合いになり、最後は強者自身が滅びてしまう。
それが自然界の摂理である。

強者と弱者がそれなりに共存共栄(共生と言い換えてもいいのかもしれないが)していくことが、双方が生き延びていく唯一の道である。

人間界においても同様であり、政治においてもこの「共生の理念」こそが唯一国を守る道である。

若年者と高齢者、都市と地方など現実世界においてもそれぞれの分野で強者と弱者は存在する。
企業も突き詰めれば消費者がいなければ存在できない。
官僚も国民がいなければ存在意義がない。
政治家も同様に、国民がいなければ存在意義がない。
「国民主権」という原点に立ち返り、もう一度政治や経済を考えてみてはどうだろう。

「共生の理念」を政治家や政党の政策の根本に据える時代が来ているように思えてならない。

今年一年、ありがとうございました。
来年が良い年でありますように。
また、小沢さんが活躍できる年になることを祈念して今年最後の投稿とします。

2010年12月29日水曜日

週刊朝日の小沢さんと茂木健一郎さんの対談を読んで

週刊朝日の対談を読んで、改めて小沢さんの凄さを実感した。
政治家としての資質はもちろんだが、その発言の無駄のなさ、凝縮した内容、質問に対する的確な返答、わかりやすい言葉遣いなど限られた時間内での対談のその内容の密度の高さに対してである。
もちろん質問する相手の資質、能力、人間性にもよるが・・・。

茂木健一郎さんも、驚いたようだが、発言は素直というかストレートである。
何気なく話されているが、その内容は、とても他の政治家では口に出せないような内容である。

いつも感じるのだが、日本の政治家で民主主義というものを真に語れる政治家がどれほどいるだろう。

権力におもねることなく、自分の信念に基づいた政治理念を持ち合わせる政治家がどれほどいるだろう。

国民に対し、真摯な態度で取り組む政治家がどれほどいるだろう。

政治というものの本質を理解している政治家がどれほどいるだろう。

議会政治のあるべき姿を語れる政治家がどれほどいるのだろう。

どこかでこんな記事を読んだ記憶がある。
新幹線(ではなかったかも知れないが)でおばあちゃんと其の連れの人がたまたまホームで小沢さんといっしょになった。
おばあちゃんが先に乗ろうとしたら、小沢さんの秘書が止めて先に小沢さんを乗せようとしたらしい。
そうしたら小沢さんが秘書に声をかけ、おばあちゃん達を先に乗せ、自分は後ろから見守っておられたらしい。

あくまで、伝聞ではあるが、本当の話ではないかと思う。
国会議員として又一人の人間としてどうあるべきかを示す逸話である。

2010年12月28日火曜日

「菅仙の マニュフェストには 小沢切り」・・・マニュフェストの一番目に書いてあるようです。

今夜から寒くなりそうだ。
菅首相や仙谷官房長官の目指す政策(といえるかどうかは別として)の、いの一番目は「小沢切り」のようだ。
この人たちに一番欠けているものは、倫理観ではないのかと感じる。
政治倫理審査会に出るのは小沢さんではなく彼らではないのかと思う今日この頃である。

小沢さんの政策をわかりやすく説明するシリーズ2 「セーフティーネットについて」
セーフティーネットについてどう説明したらいいのか?
サーカスの綱渡りをイメージして考えてみた。
綱渡りは危険だ。下にネットがなければ怖くて渡れない。
しかしネットがあることで、安心感が生まれ、挑戦してみようと考える人も出てくる。
これを現在の社会に当てはめて見ると、一応ネットは張ってあるが補修を怠ってきたため、あちらこちらに大きな穴ができている状態である。


Aさんが「ネットがあるから大丈夫だよ」といわれ恐る恐る綱を渡ろうとしたが、足を滑らせ落下してしまった。
そうしたら、運悪く、穴の部分に落下し大怪我をしてしまった。
病院で手術が必要になり、その後、リハビリで数ヶ月を要した。
その為、手術代をはじめ入院費など多額の費用がかかった。

もし、ネットの部分に落下していたとしたらどうだっただろう。
多少の擦り傷はできたかも知れないが、多額の医療費はかからなかったはずである。
穴の大きさや数によっても怪我をする人の数は違ってくる。
怪我をする人が多くなればなるほど、新たに病院も必要になる。外科医の数も足らなくなる。看護師も必要になる。

要点をまとめると、ネットがない場合や穴が大きく数が多くほど、その後に支出する医療費が多くなるということである。
ネットがきちんと整備されていることで、けが人の数も減り、医療費の支出も少なくてすむ。

もうひとつの重要な点が、大きなリスクを伴う綱渡りにネットがあることで挑戦してみようと思う人が増えることである。

対策としては
①ネットにあいた穴を一つ一つ補修していく。
②ネット全体を新しいものと取り替える。
③綱の上にもう一本ロープを張り、伝って渡れるようにする。
④地上の低い場所にロープを張り、訓練をする。
⑤綱渡りの綱を幅の広い板に取り替える。(綱わたりではなくなるが・・・。)
などが考えられる。

今までの政府は、ネットの補修や取替えに力を入れず、穴に落ちた人を治療することの方に目を向けてきた。
ネットの修理や取替えにも費用はかかるが、穴に落ちる人が増えることに伴う医療費の増加や病院などの施設の不足を考えた場合、どちらの対処が正解なのであろうか。

補修するについても、ネットが大きいので、中々、穴を見つけるのが大変な状況にある。
であるなら、細かく区分けして担当者(地方自治体)を決め、担当者がきめ細かく目をいき届かせながら補修していくことが重要になる。

しかし、ネットの耐用年数が切れかかっている現状においては、新しいネットに取り替えるか、思い切って綱を広い板に取り替える方がいいのかもしれない。

全てに当てはまるとは思わないが、こういう視点から、農家の個別保障や子供手当て、雇用政策、財源論を語る必要があるのかもしれない。
セーフティーネットがあることで、新たに事業に取り組もうと考える人が増えることが考えられる。
経済効果や地域活性化策にも繋がるのではないかと考える今日この頃である。

2010年12月27日月曜日

かちかち山の岡田君・・・柔軟剤を飲んでください!

30日まで仕事。
忙しいわけではないが、他にやることもなし。

経済や介護・福祉についても書くつもりだったブログもほとんど政治ネタになってしまった。小沢さんで始まり小沢さんで終わった感あり。

政治的には、苛つく1年であった。
ここで1年を川柳で振り返ってみた。(駄作ばかりだが・・・。)

「見通しも 根回しもない 党運営」・・・国対も選対も必要なさそうです。
「菅さんに つける薬が 見当たらず」・・・新薬を開発中だそうです。
「岡田氏の 石頭には 何つける」・・・頭をやわらかくする薬か、柔軟剤をお奨めします。
「阿波狸 影の総理と 呼ばれたい」・・・影の総理と呼ばれることが嬉しいようです。
「税金で 食べる料理は 格別ぞ」・・・菅首相の一流店での食事代はどこからでているのだろう?
「ホテルでの 食事が癖に なりそうだ」・・・小沢さんはいつも庶民が行く居酒屋がほとんど。生活は地味のようだ。
「連立も 相手にされず 菅(勘)違い」・・・モテルと勘違いして見境なくラブコールをアチコチに送っているようだが、ことごとくフラれているようです。
「党よりも 政策よりも 首相の座」・・・党の運営や政策より首相を少しでも長く続けることが最大の関心事のようです。
「選挙戦 戦う前から 言い訳を」・・・選挙で負けたときの言い訳作りには熱心ですが、肝心の選挙では連戦連敗のようです。
「責任は すべて小沢に 押し付ける」・・・何でもかんでも都合が悪くなると、全て小沢さんの責任に押し付けるようです。責任という2文字がオリジナル民主党の方々の辞書にはないようです。

私達、庶民の頭の中と、オリジナル民主党と呼ばれる議員の人達の頭の中とでは構造が違うようです。
菅首相の新年早々の辞任を祈念して川柳の発表を終わります。

意地を通せば角が立つ・・・意地を通し続ければ党内分裂?どうする岡田さん

先日書いた投稿で引用した新聞記事に間違いのある可能性が浮上した。
APEC期間中に中国の胡錦濤国家主席と、小沢一郎氏が極秘裏に会談したという記事であるが、小沢氏が動画サイトで語った「この間、日本に来たとき」というのは、2008年5月のことではないか、ということである。
もし間違いであれば、間違った記事を引用したことに対し深くお詫びします。
大手マスコミの記事を信用した私が馬鹿でした。

さて菅首相と岡田幹事長は意地になっているようだ。当然、個人の意地を通せば、周りとの関係がギクシャクする。このことがエスカレートしていくと決定的な対立になる。

政治は意地でするものではない。
また、党内が揉めているのは、小沢さんや小沢グループが原因のような発言を岡田幹事長がしているようだが、冷静に考えて欲しい。
菅首相や岡田幹事長が党内をまとめられないことが一番の原因ではないのか。自分達の力不足を反省すべきではないのか。
今の民主党にとって一番の問題は内閣支持率の低下ではなく党の支持率が低下していることである。
党の代表である菅首相と岡田幹事長の党運営に対し厳しい評価がなされていることを認識すべきだ。そして民主党支持者や支援団体の多くが「挙党一致」を求めていることも認識すべきだ。

私の好きな言葉に論語の
『意なく必なく固なく我なし』という言葉がある。(他人の意見をよく聞き、他人への無理強いはせず、自分の意見に固執せず、他人のためになる事を考える。)
私はこれを
『意なく欲なく固なく我なし』と変えて座右の銘にしている。
特に政治家には自分の我を押し通すことなく、自分を捨て国民の立場になり私欲を考えず無の境地で政治に取り組んでいただきたいものだ。

最近の政治家の言葉で納得がいかない発言が多く見られる。
いくつかを取り上げ反論してみたいと思う。

「民間なら社長の言うことが聞けない社員はクビだ。」・・・小沢さんの政倫審出席拒否に関して
発言している人たちは、政党と民間の会社を同一視して発言しているが、これは自身も含めた国会議員がどういう立場にあるのかをよく理解していない発言で、議員失格と言われてもしょうがない発言である。
そもそも政党と議員の間に雇用契約はない。給料も政党から支払われているわけではない。
議員は党の公認は受けるが、政党から選ばれて議員になれた訳ではない。あくまで有権者に選ばれて議員になった。
多くの議員が地方の党本部や支援団体の推薦と支持を受けて立候補している。党をクビにするのならそれなりの丁寧な手順を踏むべきだ。それが民主的な政党というものだと思う。

小沢さんの問題が選挙で連敗していることの大きな原因の一つ ・・・小沢さんの「政治と金」に関して
最近、党執行部やマスコミが好んで使う言葉である。
暴論との批判が出ることを承知でいうならば、小沢さんは全国民に選ばれたわけではない。
岩手県第4区の有権者に選ばれて国会に送りだされた一議員である。
小選挙区制においては、私が小沢さんを国会に送り出すことはできない。その権利があるのは岩手県第4区の有権者のみである。
実は、このことに民主党が選挙で負け続けている原因が見い出せるのではないかと考えている。

有権者は大きく分けると二つの選択基準で投票する。
一つは、政党に対する評価を基準に投票・・・この場合、政権支持率や政党支持率がダイレクトに投票行動に繋がる。所謂、風頼みの選挙と言われるものはコチラである。
二つ目は、議員個人に対する評価を基準に投票・・・この場合、政権支持率や政党支持率にあまり影響されない。所謂、どぶ板選挙と呼ばれるものは、こちらに分類される。支援団体の支持固めや掘り起こしもこちらに分類される。

「小沢さんの問題が選挙で連敗していることの大きな原因の一つ」であることを否定するわけではないが、政権支持率や政党支持率を頼りにした選挙では、支持率が下がれば負けるのは当たり前である。

現民主党執行部は、支持率の影響を受けにくい、どぶ板型の選挙や支援団体の支持固め、掘り起こしを軽視しているきらいがある。
このことが選挙における惨敗の大きな原因であることを認識すべきだ。地方選においては数百票の差で当落が分かれることを理解すべきだ。
そして各議員は個人に対する評価を基準に選んでいただける努力と日常活動に力を入れるべきだ。
特に山村などの普段、他の議員が行かないような場所にも足を運ぶことの重要性も認識すべきだ。

自民党の党勢が落ちてきた大きな原因の一つが、市町村合併にあることも良く理解すべきだ。
手足となる地方の議員が激減したことの影響は思いのほか大きいのである。

何でも小沢さんの責任に転化するのではなく、根本の原因を素直に認識することが重要ではないですか岡田幹事長。

2010年12月24日金曜日

雪隠詰め(せっちんづめ)になりそうな菅首相、岡田幹事長

今日はクリスマスイブ。

私の子供のころは、クリスマスが本当に楽しみだった。
めったに食べれないケーキが食べられた。
朝起きると、サンタさん(親からであることは知っていた。)からのプレゼントが枕元にあった。
たいしたプレゼントではなかったのだが、嬉しかった記憶がある。
今の子供にこんな満足感や喜びがあるのだろうか。
「物の豊かさ」と「心の満足感」とは必ずしも比例しないようだ。

さて民主党内の風向きが昨日あたりから変わってきているように感じる。
ライブ配信サイト「ユーストリーム(Ustream)」での小沢さんのインタビューを見る限りにおいては、とても追い詰められている人には見えない。
むしろ菅首相や岡田幹事長が将棋で言うところうの雪隠詰め(せっちんづめ)になりそうな雰囲気さえ感じられる。

早速こんなニュースが流れてきた。
民主党の小沢元代表が衆議院政治倫理審査会への出席を拒否している問題で、菅総理大臣と小沢氏は25日、連合の古賀会長の呼びかけで再び会談します。
会談は都内のホテルで行われ、岡田幹事長や参議院の輿石議員会長のほか、鳩山前総理大臣も同席します。菅総理は今週に行われた小沢氏との会談で、国会での説明に応じるよう求めましたが、小沢氏は拒否しました。執行部は、27日の役員会で政倫審での議決を行う方針を決める構えで、小沢氏の対応次第では証人喚問も検討しています。このため、連合の古賀会長は、党の分裂は避けるべきだとして、役員会を前に菅総理と小沢氏に党内融和を求める考えです。ただ、菅執行部と小沢氏の溝は深く、簡単には埋まりそうにありません。(テレ朝NEWS)

党内の参議院の輿石議員会長や鳩山前総理大臣などの前回小沢さんを支持した議員の他、前回、菅支持に回った旧民社党系グループの議員なども小沢さん支持に回ったようだ。旧社会党系グループも一部を除いては小沢さん支持に回ったのではないだろうか。

数日前に菅首相と岡田幹事長に党内融和を求めた連合の古賀会長も、さらに強行姿勢を強める菅首相と岡田幹事長に対し、堪忍袋の緒が切れはじめたのではないか。連合内部からも懸念の声が強まっているのだろう。
他の支持団体においても同様であろう。
地方の民主党では今大変なことになっているらしい。私の聞いている範囲内での話ではあるが、民主党を脱党する議員が急増しているそうだ。
コアな民主党支持者においても同様な現象がおきている。

岡田幹事長はこれらの現象を正確に把握しているのだろうか。
オリジナル民主党と呼ばれる面々は、国会議員によるコップの中での争いにばかりに目がいっており、地方組織や支持団体、党員の動きを軽視していうように感じられる。
しかし気がついてみたら、周りから固められ、隅に追いやられて身動きができなくなっていた。
というのが現状ではないのか。

マスコミの記事とは異なる分析ではあるが、そんなに違っているとは思っていない。

余談ではあるが宮崎学さんがブログに書いておられるように検察審査会の「強制起訴」(強制起訴という言葉はないらしいのだが・・・。)という判断は検察に対してのものである。
検察の不起訴処分に対し、検察の捜査に不備があり、起訴が妥当であるとの検察捜査に対する判断と捉えるべきだと考える。
行政機関なのか司法機関なのかもはっきりしないような検察審査会(法に関する素人11人)に起訴する権利が与えらていると考えること自体に矛盾がある。

マスコミの記事は官邸の菅首相の側近あるいは党執行部の幹部という限られたソースからの情報をもとに政治部の記者が書いているようだ。(記者クラブの弊害の一つ)
又は渡部肛門様のような自分達に都合のいいことを言ってくれる議員の声しか記事にしない。(ニュースソースがいつも同じで裏取りがされていない。)
彼らに党内部や外部の情報が逐一報告されているとは思いにくく、入ってくる情報も彼らに都合のよい情報が多いのだろう。(悪い情報は報告しにくい。)
であるからして、菅首相やその周辺の議員、そこから情報を得ているマスコミの分析は、実態とかなりかけ離れているとみるべきであろう。
騒いでいる議員は一握りで、後は様子見の議員が多いのではないか。

菅首相と岡田幹事長が周りからの声にどう答えるのか。
詰め将棋も終盤に入ってきている模様だ。

お願いしてでも会いたい政治家小沢一郎・・・お願いされても会いたくない政治家菅直人

中国の胡錦濤国家主席と小沢さんが会談していたようだ。
ニュースではあまり大きく取り上げられていないが、このことの意味することは大きいのではないか。
党の役職にも無い一国会議員に対し中国のトップが会談を申し入れるということは通常ではありえない話である。
中国側が日本側のカウンターパートとして誰に期待しているのかの現われでもあるように思う。

民主党の小沢一郎元代表は23日のインターネット動画番組で、中国の胡錦濤国家主席が11月に横浜市で開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)出席のため来日した際に、会談していたことを明らかにした。
小沢氏は「胡氏がこの間、日本に来たとき『会いたい』と言うから、『儀礼的な社交辞令で会うのは嫌いだ』と言ったのだが」と説明。会談は15~20分間だったといい、小沢氏は映画「山猫」の一節を引きながら「変わらずに残るためには、変わらなければならない。これが私の人生の政治哲学だ」と伝え、中国共産党独裁体制の転換を暗に求めたという。
2010/12/24 00:35 【共同通信】


財源論を含む小沢さんの考えをわかりやすく説明するにはどうしたらよいのか?
私なりに考えてみた。
あくまで素人の考えなので参考程度に見てもらえばよい。

広い果樹園(世界)の中にひときわ目立つ数本の木がある。
其の中の1本が日本という名前をつけられた柿の木(りんごでもみかんでもいいのだが)である。
見かけ枝が沢山あり、葉も茂っている。
しかし、剪定(無駄な枝の排除)を怠ってきたため、実のならない枝(無駄なな事業や組織)も沢山できてしまった。
実のならない枝(特殊法人等)に養分を吸い取られるため、実のなる枝に生る果実(予算効果)も小さなものになってしまった。
木が大きくなったことで、根元に直射日光が当りにくくなり、根が深くはらなくなってしまった。(木本体の力が無くなり、養分を吸い上げる力が低下した。)
剪定もしないまま、木の根元に一生懸命肥料(税金投入や国債発行)を与え続けてきたのが過去の政権(現政権も似たようなもの)ではなかろうか。
これが日本の現状ではなかろうか。

小沢さんの主張しているのは
まず実のならない枝を剪定し枝を元から切り落とし、勢いの無くなった古い枝も途中から切り落とす。(無駄の削減と大胆な予算の組み替え)
全体のバランスを見ながら、枝ぶりを整えていく(地方主権)。
少なくてもそれだけでスッキリし、根元に直射日光があたるようになることで、根が深くはるようになる。
以前と同じ肥料の量(予算・財源)でも、実のなる枝に養分がいきわたるようになり実も多く収穫でき且つ、1個の果実の大きさも大きいものとなる。

もしかすると今までより少ない肥料で今まで以上の収穫を得ることができるかも知れない。
果実の品質もよくなるかもしれない。

ということではないだろうか。

しかし現実には、その他にも異常気象や病害虫が発生することもある。
しかし木本体の力が回復すれば、それらの影響も最小限に抑えられ、回復も早くなる。(リーマンショックの影響が思いの他大きかったのは日本という木自体の樹勢がなくなってきていることの表れである。)

しかし、剪定をしようとする凄腕の庭師(小沢さん)を果実(既得権益や予算など)を横取りしようとする烏(財界やアメリカなど)や害虫(マスコミなど)が邪魔をしているのが現状ではないだろうか。

とりあえず害虫は強力な農薬(国民の声)で退治する必要がある。

2010年12月22日水曜日

立場が悪くなると法律論・・・仙谷官房長官の詭弁

仙谷官房長官は、自分に都合のいいように法律論を語るようだ。

仙谷由人官房長官は22日午前の記者会見で、自民、公明両党が、問責決議を受けた仙谷長官らが出席する国会審議を拒否する方針を示していることについて、「そんなことが通るのか。お互い、政治だからよく考えないといけない。法律論として絶対通らない」と批判した。
(2010/12/22-12:37)時事ドットコム

民主党も野党の時代に同じような審議拒否をしていたような記憶があるのだが・・・。

仙谷官房長官に法律論からの小沢さんの「政倫審出席」や「国会への証人喚問」について意見を聞いて見たいものだ。
弁護士でもある仙谷官房長官であれば尚更のこと、小沢一郎氏の刑事裁判の主任弁護士の弘中惇一郎氏が記者会見で述べた意見に異議を唱えることは難しいのではないか。

政治倫理審査会への出席問題について「刑事裁判においては、被告人質問は一番最後の段階に行われることになっている。憲法第38条の自白に対する人権保障の観点から、被告人質問が真っ先に行われることは好ましくないということ。まだ起訴されたわけではないが、被告人に近い立場である小沢一郎氏が、公の場であれこれ答えろというのは、刑事裁判の弁護人からすると困る、避けていただきたい」

「人権というのはすべてにおいて折り合いをつけてゆかねばならない。国民の知る権利があることも理解できるが、小沢氏の人権、刑事被告人としての立場についても考慮すべき。」

「刑事弁護人の立場を離れるが、私的な意見として、政倫審で質問・答えをするというのは、具体的な倫理違反行為が核となっていて、それに関連して審査をするということだと思う。漠とした噂があるから質問して聞いてみたいというのはレベルが違うと思う。違和感がある。」


それを政治的責任という言葉に転嫁し出席を強要するのであれば、問責決議を受けた仙谷官房長官本人の政治的責任(法律論ではなく)についてはどう答えるのであろう。
衆議院と参議院の違いなど関係ない。国会で問責決議を受けたことの責任の重さをどう捉えるかという問題である。

小沢さんの問題に関しては法律論の見地からは発言せず、自身の問責決議に関しては法律論で異議を唱える。
まさしく弁護士としての面目躍如であるが、詭弁と捉えられても仕方がない。
仙谷氏は今回に限らず度々、この手法を使っている。

どうもオリジナル民主党と呼ばれる面々には、この手の詭弁を使われる方が多いようだ。
小沢さんの問題に関して言うならば、小沢さんは刑事被告人になる立場にある。「人権」と「法律」が優先されるべきか、政治的責任(何が問題かもわからないような事案に対しての)が優先されるべきかの議論を三権分立の原則に沿って行うべきではないのか。
この問題は、別々に論じられる問題ではなく優先順位を論じる問題なのではないのか。
そもそも裁判で白黒をはっきりさせることが決まっているわけであるからして、わざわざ国会でやる必要があるのかという疑問を持つのが普通の感覚ではないのか。

政治的責任は人権や法とは別の問題であると主張する人たちに聞いてみたい。
あなたが小沢さんの立場だったらどう答えますかと・・・。
菅首相はどう答えますか?
仙谷官房長官はどう答えますか?
前原外務大臣はどう答えますか?

是非、回答を聞いてみたいものである。

予算編成に思う・・・弱者に厳しい民主党?

先週の日曜日に家の周りの木々の剪定を終えた。
柿の剪定は難しく、カミさんのお父さんに教えてもらいながらやっていたが、昨年は失敗したようで、今年はあまり実がならなかった。
勢いのある枝を残し、無駄な枝を間引いてやればよいのだが口で言うほど簡単なものではない。
全体のバランスを考えながらやらないとうまくいかない。

ここで一句
「政界も 大掃除しろと 街の声」

政府の来年度予算編成の状況をみている限りにおいては、完全な財務省主導予算との印象を受ける。
政府の目指す方向性が少しも感じられない予算だ。
菅首相のいう「雇用」や「成長戦略」の姿も見えにくい。
中途半端な、「つぎはぎ予算」という印象だ。

最大の課題である景気と雇用に対するメリハリのきいた予算を期待していたのだが期待はずれだ。
最初に決めた枠内でやりくりすることが目的になってしまい、党が約束した政策を遂行するという目的は、どこかに行ってしまったようだ。

其の一方で相変わらずアメリカ様には査定が甘いようだ。
結局、国家戦略局も機能せず、各省庁の予算分捕り合戦が行われている。
自民党時代とあまり代わり映えしない予算編成と感じるのは私だけであろうか。

国民が期待したのは、国家全体のバランスを見据え、実のならない枝を大胆に切り落とし、実のなる枝に栄養がいきわたるようにするメリハリのきいた予算の組み替えではなかったのか?

法人税は減税し、所得税の実質増税をはじめ年金の減額など庶民に対しては厳しい税制改革などを見て民主党に抱いていたイメージを変えた人も多いのではないか。
特に年金の減額は、下げ幅が小さいとはいえ、低所得者や障害者にも適用される。
弱者に厳しいという印象を持つのは私だけであろうか。

党内での議論の姿が見えず、一部の人たちだけで決めている印象さえ受ける今回の予算編成を見るにつけ、あるべき政権運営や党運営の姿が見えず、本当に機能しているのかとさえ思いはじめている。

これらの疑問に菅首相や岡田幹事長は、どう答えるのだろう。
仮免許で路上を好きなように走られては、一般のドライバーは堪ったものではない。
自公時代と同じ風景を見せられても、国民は政権交代の意義を感じることができない。

2010年12月21日火曜日

三日坊主の私がブログを続けられる訳・・・小沢さんのおかげです!

自慢ではないが私は何をやっても三日坊主である。
結構長いこと人間をやっているが、一つのことが長く続いたためしがない。
カミサンにもよく言われている。

其の私が、其の私がである、このブログを今年2百本以上も書き続けている。奇跡である。
なぜブログが続けられたのか自分なりに分析してみた。

小沢さんがかわいそうだからという気持ちが強いからではないかと思う。
検察やマスコミからあるいは同僚の議員から不当にいじめられる小沢さんを何とか守ってあげたいという気持ちが強くあるからではないかと思う。
マスコミや検察に対する強い不信感があることも大きな動機となっている。

偉そうに言っているが、豪腕と呼ばれる小沢さんには反面でなぜかそういう気持ちを抱かせる何かがある。
日本人の心を感じさせる何かがある。
庶民が予想できないような行動や顔からは想像できない内面的な深さを感じさせる発言など、他の政治家とは別格の魅力を持つ小沢一郎という政治家の中毒になってしまった。
それがブログを続けられている理由ではないのかと勝手に思い込んでいる。

私だけでなく、多くの人がブログなどで小沢さんを支援している。
特に昨年の西松建設事件以降、そういう人達が増えているように感じる。
応援する人の年齢層も広がり、女性の支援者も増えているように感じる。

今まで表に出てこなかった社会の裏の部分が小沢一郎という一人の人間を通して浮かびあがってきた。
新聞やテレビなどの報道を鵜呑みにしていた人たちも疑問に思い始めた。
検察や裁判所が必ずしも正義ではないこともわかり始めてきた。
今まで悪人と呼ばれてきた田中角栄氏や鈴木宗雄氏、リクルートの江副氏などの事件の真実の姿もわかり始めてきた。

昨年からの小沢さん関連の事件をきっかけに、既存のメディアではないインターネットというメディアを通し多くの市民が直接、情報を発信し始めたことで、少なからず政治にも影響を与え始めた。
そういう意味では、時代の変化を感じさせた一年であった。
微力ではあるが来年も小沢さんネタで頑張ってブログを書こうと思っている今日この頃である。

弱い犬ほどよく吠える。・・・菅首相と小沢さんの会談に思う。

政治よりまず自分の生活が第一。

これがいつわざる多くの国民の気持ちであろう。
だから小沢さんは「国民の生活が第一」というスローガンを掲げたのであろう。
国民の生活を第一に思う政治をすることで国民の政治への信頼を取り戻し、政治をより国民生活に身近なものとする。
それが小沢さんの政治信条なのかもしれない。

さて昨日の菅首相と小沢さんの会談であるが、話が平行線で物別れに終わったようだ。
菅首相はかなり感情的になっていたようで、一説によれば怒鳴り声が部屋の外にまで聞こえてきたそうだ。
スピッツ(菅首相・・・かわいすぎるか?)がブルドック(小沢さん・・・イメージにぴったり・・・失礼)にキャンキャンと吠えまくっている図である。
弱い犬ほどよく吠える・・・菅首相の自信の無さと後ろめたさの表れであろう。

小沢さんはこのままでは民主党が持たない。菅首相に挙党一致体制を求めたのであろう。
しかし菅首相は聞く耳を持たなかったということではなかろうかと推測できる。

私も含め、現実は政治より自分の生活が第一である。
しかし、本当にそれでいいのだろうかという疑問を感じるときがある。
社会がよくならなければ、自分の生活もよくならない。無力感を感じるときがある。

政治に何を期待するのか。自問自答してみた。
詰まるところ政治への期待とは政治家への期待ではないのかということである。
政治を司るのは政治家である。国民は政治家に日本の政治を委任している。
であるからして国民は自分達の選んだ政治家に対し、自分達の意見をもっと伝える努力が必要なのかもしれない。
政治家にも同様な努力が求められる。
より多くの国民との接点を持つことで、あるいは日本の現状をより多くの国民に伝える努力を重ねることで、初めて国民に負担をお願いすることができるはずである。
小沢さんの言う地元活動が重要だという言葉の意味は、日常活動をとおして議員一人一人が住民の信頼と尊敬を得ることが、政治や政策を進めるうえでの基本であることを示すものである。

翻って、菅首相や党執行部のやっていることは、政治家に求められる信頼や尊敬に値する行動なのであろうか?
党の最大功労者である小沢さんという仲間を国会の政治倫理審査会や証人喚問という「お白州」の場に、首に縄をつけて引きずりだそうとしている。
それも大岡越前守がでてくるような「お白州」の場ではなく、野党の議員の前で「さらし者」にされるような「お白州」にである。

小沢さんは強制起訴議決により、法廷で白黒つけることが、ほぼ決定しているわけで、何もわざわざ「さらし者」にされるような場に、それも仲間であるはずの身内に引きずりだされる謂れは無いはずである。

自分達の政権運営や党運営を反省することもせず、大恩人を「お白州」に引きずりだそうとする行為に対し、はたして国民や同僚議員の信頼と尊敬を得ることができるのであろうか。
同僚議員の人間性も問われている。

2010年12月20日月曜日

民主党は地方選の総括を早急に行う必要がある。・・・地方の声を聞く必要がある。

家に帰り昼食を取りながらテレビ朝日のワイド!スクランブルという番組を見ていて思わず口の中のご飯を噴出しそうになってしまった。
恥ずかしながら私はこの番組の司会をしている大下容子アナの隠れファンの一人であり、其のこともあって時々見ている。(なかにし礼さんもファンらしい)

今日は田原総一郎氏が出ており、小沢さんと菅首相の会談について、過激な発言をしていた。
小沢さんが決断するのではなく、菅さんが小沢さんに離党勧告ではなく除名まで決断しなくては民主党が持たないというような趣旨の発言をし、コメンテーターやゲストも口をアングリさせていた。
私もご飯を噴出しそうになった。其の中で「小沢さんは真っ白」という発言もしていて、真偽を図りかねる発言の連続であった。
要約すると、小沢さんは真っ白ならば国会で証言すべきであり、できないというのであれば菅首相が離党勧告などという中途半端な処分ではなく、除名処分にして党から追い出さないと民主党は持たないということらしい。菅首相がそこまで決断できなければ菅さんは終わるということを言いたかったようだ。

しかし、この説には少し無理があるように思える。
除名処分にするだけの党としての大義名分があるのかという点である。
小沢さんが「真っ白」と言うのであれば尚更であるが、無罪の可能性が高い国民から選ばれた議員を立法機関でもない政党が裁判の結果も出ていない段階で、ただ政治倫理審査会に出ないという理由だけで、果たして除名できるのかということである。まして政権交代の最大の功労者である。

私は、小沢さんのこの問題については前々からいっているが、説明責任があるのは2度も不起訴処分を出した検察の方にあると思っている。
小沢さんを招致する前に国会に検察を呼んで、なぜ不起訴にしたのかの説明を聞くことの方が先決であろう。

両議院総会も早期に開催した方がいいと思っている。
直近の地方選で連戦連敗の現状において、まず地方の声を聞くことを最優先すべきだと思っている。
選挙での敗北の原因は何なのかをはっきりさせないことには、これらの問題を解決させることはできない。
執行部は、選挙の敗北は小沢さんの「政治と金」 の問題が大きいように言っているが、政権運営や党運営に関する問題の方がはるかに大きいのではないのかどうか、現場の声を聞くことではっきりさせることができる。
本来ならばその後で小沢さんの招致の問題を検討するのが筋である。
国会運営に関しては、招致を突っぱねればそれだけのことである。
野党の協力が得られる確約もない段階での議決は意味がない。

党としての大儀名分もなしに、小沢排除に突き進む執行部に対し、地方からの激しい批判が起きることは間違いない。
開かれた党と主張するのであれば、まず議員、党員の声を聞くべきである。

小沢さん批判で支持率アップの嘘・・・検事総長辞任の裏には何が?

いよいよ今年もあとわずかです。
どうにか年を越せそうで一安心。
しかし多くの人が、不安な年末を迎えています。
「党内抗争をしている場合ではないだろう。」と思うのは私だけでしょうか。

「小沢さん批判で支持率アップ」と与党の現執行部や野党は考えているようですが本当にそうなのでしょうか?
昨年の衆議院選挙において野党は西松事件を取り上げ小沢さんの「政治と金」を猛烈に批判し続けましたが選挙で負けました。
現在、これほど与党の執行部や野党が小沢さんの「政治と金」を批判し続けても、与党の支持率は下がり続け、野党の自民党の支持率も大きくは上がりません。
マスコミの世論操作に振りまわされ真実が見えないのが現在の民主党の執行部です。
自民党は気がつきはじめたようです。

もっとも正確な支持率は直近の選挙での数字です。
民主党は地方選で「連戦連敗」です。
これを小沢さんの責任のように語る民主党の幹部は、昨年の衆議院選をどのように総括しているのでしょう。

選挙結果の責任逃れのため、小沢さんを生贄にしようとする思惑が透けて見えます。
多くの国民が、民主党に失望している。
それ以上でもそれ以下でもありません。
期待される民主党に戻るためにはどうしたら良いのか。
民主党の執行部が考えなければいけないことは唯一このことだけのはずです。

同じ仲間である小沢さんを追い出すことばかりに力を注いでいるようでは、国民からソッポを向かれるのも当たり前です。

仙谷官房長官が、法務大臣を兼任すると決まったとき、何かしら違和感を感じた。
通常であれば、官房長官が兼任することは考えにくい。
仙石氏に何か思惑があるのではないかと疑ってしまった。

あくまで私の推測であるが
①中国漁船問題における官邸の関与
②検察審査会の議決への関与
③代表戦における不正疑惑
その他、諸々における仙谷官房長官の関与が表に出るのを防ぐため自らがトップになり、封じ込めようとの思惑が無かったとは言い切れないように思う。

また小沢さんの裁判にも何かしらの圧力をかけられる立場に就くことで、主導権を握ろうとの思惑も感じられないわけではない。
今回の検事総長の辞任にも何か裏がありそうだ。

これほどまでにして小沢さんを排除しようとする人たちに聞いてみたい。
彼らに対し小沢さんが何をしたのか?
小沢さんが党にいることの何が問題なのか?
小沢さんを支持する議員や党員が沢山いることに対し、どう考えているのか?

私には小沢さんに対する嫉妬が原因としかうつらないのだが・・・。

2010年12月18日土曜日

一国の首相としての見識を疑う???世論一番、政策・・・番

これが一国の首相の言葉か・・・。

菅首相は政権運営について「正当な評価を受けていない。すんなり政策が決まるより、殴り合う場面を見せた方が世論の支持を受ける」

小沢叩きをすることで世論の支持を得ようとしていることを白状しているようなものである。
これほど品格と見識が低い総理大臣も珍しい。
やることなすことが「自らの人気取りパフォーマンス」にしか見られないことに哀れささえ感じてしまう。
ご自分では、わかっていらっしゃるのだろうか?
「正当な評価を受けていない。」とご自分でおっしゃるくらいなので、自覚は無いのでしょう。

法人税の5%下げにしてもそうだが、日本の法人税がマスコミの言うほど高くないことをご存知ないのか。
企業が外国に逃げていくとおっしゃるが、その一番の原因は国内消費の低迷にあることをおわかりないのか。
自動車の国内販売台数をみればわかるように、内需が伸びない(というかデフレの影響もあり実質減少している)状況で販売増が見込める地域に企業が進出していく動きは、少々、法人税を下げたくらいでは止まらない。
少子高齢化で今後ますます内需(国内消費)の減少が予想される現状では、いかに内需を増やす(長期的には人口減少に歯止めをかけ、国内の雇用を増やす)かが企業を国内にとどめる最大の政策でなければならない。

消費税に関しても、これほど欠陥のある税も珍しい。
所得税の申告は個人でも手引きを読めば大半の人はできるはずだ。(といっても中々難しいが。)
国の出している文書で、一番わかりやすく親切で且つ、無駄がないのが「所得税の申告の手引き」だ。
それに比べて消費税はわかりやすく書いてはあるが、大半の人は理解できないであろう。
そもそも、課税・非課税・不課税という区分さえすぐ説明できる人は居ないだろう。
本則課税、簡易課税などといっても意味がわかる人もほとんど居ないだろう。

課税の基準が2年前の数字をもとに判断されることを知っている人もそんなに多くない。
株式会社(資本金1千万未満)の場合、会社を設立して最初の2年間は消費税は納めなくてもいい。ただし「消費税課税事業者選択届出書」を提出して納税義務者になることを選択すれば別だが・・・。


最大の問題は同じ決算なのに課税方法の選択等で税額が変わってしまうことである。
皆さんは、近年、税理士業界でも損害賠償請求の訴訟が増えていることをご存知ですか。特に消費税に関係する訴えは全体の約半数を占めるほどです。理由としては従来の多くの税法と違って事前の届出が必要であること、そもそも税理士の消費税法に関する知識が不足していることなどがあげられます。

このように税の専門家でも完全に理解している人が少ない消費税の申告を素人にやれというところに少しムリがあります。

実際の税務調査でも、消費税で引っかかる場合がかなり多いのが現状です。
もっとシンプルにし、課税方法の選択で税額が大きく変わるような仕組み自体を再検討すべきだと思います。(届出制の部分も含め)

日本には源泉徴収という非常によくできた徴収システムがあります。
しかし納税の基本は、納税者一人一人が自ら申告するという形が一番望ましいということです。
それにより、税に対する関心も高まり、知識もつきます。
また税の使われ方にも関心が向きます。
その為にも、わかりやすい申告システムであることが重要です。

税の話は難しいので理解しにくいかもしれませんが、私のような貧乏自営業者にとってはわずかな税金も結構負担になります。
もちろん申告額により、国民健康保険や市町村民税の額も変わってきます。
暇があったら是非、税の勉強もしてみてください。

国は、庶民からも税を搾り取ろうと計画しているようです。
まずは国の無駄を省かせるよう監視することが重要です。
これ以上、負担を押し付けられたら、国が滅ぶ前に国民生活が破綻してしまいます。

2010年12月17日金曜日

日本のマスコミは20年遅れている・・・というか時代の流れについていけない状況

ここ数日、ネットで話題になっているいくつかのクラウドサービスを使ってみた。
クラウドの定義は良くわからないが、私が良く利用するGoogleのサービスもクラウドと考えていいのだろう。
実は身近な部分でクラウドサービスは広がっている。

クラウドとは
最近では、クラウドコンピューティングを略して「クラウド」と呼ぶことが多い。データを自分のパソコンや携帯電話ではなく、インターネット上に保存する使い方、サービスのこと。自宅、会社、ネットカフェ、学校、図書館、外出先など、さまざまな環境のパソコンや携帯電話(主にスマートフォン)からでもデータを閲覧、編集、アップロードすることができる。人とデータを共有するグループウェアのような使い方もある。(はてなより抜粋)

私が使ってみたのはWEB上に自分専用のハードディスクを持つことのできるオンラインストレージサービスのDropbox(ドロップボックス)とSugarSync( シュガーシンク)だが、思った以上に使い勝手が良く便利だ。
私が仕事で利用しているGoogleサイトでは、無料でネット上からホームページやグループウェアーが簡単にできてしまう。KDDIの子会社が提供しているJimdoもネット上で立派なホームページが簡単にできる。
クラウドではないかも知れないが今話題の世界最大のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)であるFacebook(フェイスブック)にも登録してみた。
まだ使い方が良くわからないが、ビジネスでの利用が増加しているそうだ。

私も利用しているTwitterに代表されるように、ネット上では、簡単に情報が公開でき、情報の共有も簡単にできる。
その為マスコミの報道をチェックしてコメントしてくれる人たちも多く居て、テレビや新聞を見なくても最新のニュースにそれぞれの人たちが感想や解説までつけて、つぶやいてくれる。
自分と考えが近い人たちが集まって議論することさえできる。
であるから、報道に間違いや偏向が見受けられる場合は即座に指摘される。

今、問題になっているウィキリークス や動画サイトのユーチューブでもわかるように、瞬時に情報が拡散します。其の情報がさらに蜘蛛の巣のようにブログやツイッターで拡散していきます。
アメリカの一部のマスコミは、これらをうまく利用する方向に舵をきり始めています。
また、ウィキリークスに対して肯定的な意見を発表するマスコミも世界中に現れはじめました。政治家の中にもウィキリークスを認める人たちが現れています。ジャーナリストの中からもウィキリークスを支援する人たちがでてきています。

ふりかえって日本のマスコミや政権の中枢の人たちをみる限りにおいては否定的な意見が多いようです。

しかし、もはやこれらの動きは止められるものではないし、今までのような一方的な情報発信だけでは通用しなくなっていることを理解すべきです。

テレビ番組の劣化が甚だしい現状で、人々がネットの世界に情報やコンテンツを求める時代においては、ますます新聞、地上波のテレビは国民から見放されていく運命にあります。

今や予算は少ないであろうが、BSの番組の方が内容があります。司会者やコメンテーター、ゲストにおいてもBSの方が格段に質が上です。

新聞、マスコミ業界は、根本的に変わらざるをえないところまできています。
国民は、どのような報道やコンテンツを求めているのか。質も含めて考え直す時期にきています。
海外メディアと比較するとその遅れは顕著です。
また小沢さんに関する報道に代表されるような偏向的で恣意的な報道を続けている限り未来はないと言わざるをえません。

日刊ゲンダイは小沢支持者にとっては、必要かつ人気のある媒体です。
自分達の編集方針を貫く姿勢は評価できます。
マスコミも自分達の主義主張を全面に出す時代が来ているのかもしれません。
国民は、今までのように簡単には騙されません。

2010年12月16日木曜日

政治倫理とはなにか?・・・岡田幹事長は良く考えて発言せよ!

今年もあとわずか。
私のような貧乏人には厳しい年の瀬である。

苦しくとも貧しくとも夢や希望が持てる社会。
心に余裕が持てる社会。
お互いに気遣いができる社会。

そんな社会であって欲しい。
と願うのは私だけであろうか。

マスコミや政治の世界で最近頻繁に使われる言葉に『政治倫理』という言葉がある。
これは主に小沢さんの「政治と金」に関して使われることが多い。
では、『政治倫理』とは何ぞや!

どうもこの言葉はマスコミや政治家の都合のいいように使われている気がしてならない。
何も「政治と金」についてだけが『政治倫理』ではない。

政治倫理あるいは政治道徳ともいえるのかも知れないが、「主権者である国民との約束を守ること」こそ『政治倫理』のもっとも大切なことではないか思う。

国会で相手を愚弄したり恫喝したりすることも『政治倫理』に反する行為ではないのか。
政権公約を勝手に反故にすることも『政治倫理』に反することになるのではないか。

主権者である国民から選ばれた国会議員を自分達の立場を守るために生贄にするような行為こそ『政治倫理』に反する(政治家としての倫理)行為ではないのか。

多くの議員の声を無視し、わずかな議員の声だけで「党の意思」と言い張ることが「政治倫理」なのか。
「企業献金禁止」を謳いながら、再開することは「政治倫理」に反しないのか。
選挙の敗北を全て「小沢さんの政治と金」の問題にすり替えようとすることは、「政治倫理」に反しないのか。
そもそも小沢さんの「政治と金」の問題は何なのかをはっきりと説明できるのか。
自分がはっきりと説明できない問題を「政治倫理」に反するといって強制的に政治倫理審査会に出席させようとすることが「政治倫理」なのか。

小沢さんと縁もゆかりもない小沢さんを支援するブロガーやデモに参加する庶民の姿をみて何も思わないのか?
小沢さんを支持する人たちの「民主党への期待」をどう捉えているのか。

現執行部や菅首相をはじめとするオリジナル民主党と呼ばれる議員たちの『人間性』や『政治倫理』に疑問符がついていることが支持率低下の最大の原因であることが理解できないのか。

岡田幹事長は小沢さんの『政治倫理』をいうまえに、自分達の『政治倫理』を問う必要があるのではないか。
マスコミも同様に小沢さんに『政治倫理』を問うまえに『マスコミとしての報道倫理』を自らに問うべきではないのか。

本当の意味での『自立した国家』を目指すことこそ、政治家に求められる最大の「政治倫理」ではないのか・・・。

2010年12月15日水曜日

小沢氏の政倫審出席要請、首相「党の意思」

本当に党の意思なの?

菅首相は小沢さんの政倫審出席要請は「党の意思」との認識を示したそうだ。
「党の意思」そのものの定義はナンなの?
なぜこんなに反発が多いのに「党の意思」なの?
菅首相、仙石・前原・枝野・岡田氏等の反小沢と呼ばれる議員の意思であって、「党全体の意思」では無いはずだ。

 では菅内閣の支持率は「国民の意思」と捉えてもいいのかな?
80%近くの人がノーと言っている。小沢さんに政倫審出席を要請する前に「国民の意思」に対し答えてもらいたい。

国民は「党内抗争などしていないで、まともな政治をしてもらいたい」と考えているのではないか。
そもそも2度の代表選挙で「終わったらノーサイド」といいながら、徹底的に小沢排除を目論んだことが、党内抗争の原因ではないのか。
小沢さん側からは何も仕掛けていない。
小沢さん自身は、挙党一致のためなら何でもすると言っている。

物事を円滑に進めるためには、細かい気遣いが必要である。
根回しも時と場合によっては必要だ。(というか根回しなしでは国会運営は進まない。)
それは、党内に対しても、野党に対しても同様である。
コチラ側がけんか腰であれば、相手も聞く耳をもたない。
岡田幹事長を見ていると、細かい気遣いと自らが働きかけるという意思に欠けているように思えてならない。
戦略というものが感じられない。

今の民主党は、自由党と合併する前の民主党とは違うことを理解していない議員が多い。
現在の民主党の支持者の半数近くは、小沢さんの支持者である。

連戦連敗の選挙結果を見ればわかるように、小沢支持票が地方選挙において他に流れている。
少なくとも世論調査等において20%近くの人がどんなことがあろうとも小沢さんを支持している。
現在の反小沢執行部に対する批判票が一時的に他に流れていると見るのが妥当な分析だと思う。
であるからして自民党も勝ったからと言って安心してはいられない。本来、小沢さん支持の保守系支持者が一時的に現民主党執行部へのお灸として他の野党に投票しているに過ぎないからだ。
「政治と金」の問題でも自民党の方が汚いと思っている国民の方が多い。

実のある与野党の政策論争が見てみたいものだが、期待する方が無理のようだ。
政治家に対する(政治ではない)不信感が増幅している。

卑怯なり・・・菅首相の人間性を問う

今日から又寒くなりそうだ。
民主党内にも強い寒風がふきあれているようだ。
ここで一句
「年の瀬にアカンアカンと風が吹く」

小沢さんの政治倫理審査会出席問題で党執行部と小沢支持派の対立が激しくなっているようだ。
岡田幹事長の対応にも大いに疑問を持つが、簡単に言えば、どうしても国会運営に支障があるのならば、菅首相が自ら小沢さんと話をしてお願いすれば良いだけのことである。
それ以上でもそれ以下でもない。
それを岡田幹事長任せにしたため、党内がグショグショになっている。
役員会で議決するかどうかで紛糾し、逆に党内対立の火種をまきちらしているかのごとき様相である。
菅首相は自らが責任を取りたくないために責任を幹事長に振っているだけの卑怯者と言われてもしょうがない。

刑事被告人は、政治倫理審査会において裁判に影響があると思われる事項については発言しなくてもよいと法律にも書いてあったような気がする。
当然のことながら、小沢さんの場合は司法の場で争うことがほぼ間違いないわけで、政治倫理審査会に出席しても、全てを発言する必要はない。
何のための政治倫理審査会出席なのか。それで国会運営がスムーズに進む確約はとれているのか。
発言を拒否すれば、野党は承認喚問を求めてくることは自明の理であり、其の時点で国会運営がストップするであろう事は、素人の私でも予想がつく。

意味があるのか。政争の具に使われるだけではないのか。

公明党との連立を組みたいが為に小沢さんの離党を画策しているようだが、足元をよく見た方がいいのでは・・・。
菅首相の側近は「小沢さんが離党してもついていくのは30人ぐらいしかいない。」などとほざいているようだが、小沢さんは着々と包囲網を広げている。
中間派を含め、菅・仙石・岡田・前原氏らに対する不満と不信は広がっており、鳩山さんや輿石さんなどの影響力や地方からの反発、支援団体からの不満、選挙が心配な新人議員などの動向などを考えれば、ほぼ党内の3分の2以上は菅執行部に対して不信任であろう。

首相の座を守ることに精一杯で、党内の状況さえ、まともに把握できていない菅首相や其の側近の読みの甘さや党執行部の危機感のなさを見るにつけ、批判する意欲さえも無くなってしまう。

この現状でも、菅首相を支持する議員は、ただ単に小沢さんが怖いというだけの理由にすぎないであろう。
小沢さんが復権した場合の自分の立場を考えたときの恐怖感におびえているのかもしれない。
なんとも情けない議員の人たちである。

2010年12月9日木曜日

岡田幹事長は辞任すべき・・・党内をまとめる立場のはずが・・・。

ここ数日、ブログがかけない状況が続いていた。
仕事に追われていた関係もあるが、来客が多かったことも原因のひとつだ。
皆さん大変な状態で、失業中の人や自営業で苦戦している人など自分の生活を守るために悪戦苦闘中の人ばかりだ。

菅首相や岡田幹事長は本当に庶民の生活の現状を理解しているのだろうか。
年の瀬を迎え、生活苦の人たちのための対策を何かおこなっているのだろうか?

民主党内が騒がしくなっているようだ。野党もザワザワしだした気配も感じられる。
菅内閣がこのままではもたないという認識が広がりつつあるようだ。
それにしても岡田氏は幹事長の器でないことがはっきりした。
衆院政治倫理審査会に招致する議決の是非を13日の定例役員会に諮る考えを表明したそうだが、党内を分裂させるようなことを進んで行おうとしている神経が理解できない。

今、岡田幹事長がすべきことは、挙党一致体制をどう築くかを考え実行することである。
それなくして、今の民主党が生き残ることは不可能だ。
そういう認識の欠如が党の執行部や菅内閣のメンバーに共通している。
あれだけ小沢さんを批判して喧嘩を吹っかけた手前、後に引けないのであろうが、それと民主党の将来は別の問題だ。

今の現状が続けば来年の統一地方選挙は惨敗であろう。
解散総選挙をすれば政権の座から滑り落ちる可能性も高い。
おそらく一度政権の座を手放せば、簡単には元に戻れない。

前原氏にしても岡田氏にしても、民主党が政権の座に いてこその首相候補であり、一度政権から遠ざかれば、あるいは連立政権ができたとしても、首相になれる可能性は今と比較すれば格段に確率は低くなるはずだ。

政権を維持し、国民の信頼を取り戻すためにはどうしたら良いのか。
それを考え実行できる人が将来の日本のトップになる人でなければならないはずだ。

残念ながら、岡田氏にはそれだけの器量はないようだ。
であるならば、少なくとも党を分裂させるようなことだけはすべきで無いと思うのは私だけであろうか。

2010年12月6日月曜日

岡田氏、新生党資金「まるで個人のお金」・・・良く調べてから発言したら岡田幹事長

民主党の岡田幹事長が
「新生党という政党はもう実体がないのに、まるで個人のお金であるかのように配られた」と指摘。小沢氏が率いていた旧新生党の政治資金について「党が解散する時に、法律上は求められていないが、清算するか、税金が入っているので国庫に戻すのが筋だ」と強調した。
(共同)
と発言したそうだ。

この人は、良く理解したうえで発言しているのだろうか。
そもそもこの問題について「政党助成金」と「立法事務費」というまったく違う制度でのお金の問題を一緒くたにして報道しているマスコミが多い。
政党助成金は税金から政党に助成する法律だが成立したのが1994年で施行されたのは1995年からである。
新生党は1994年末に解党しており、「政党助成金」を新生党は受け取っていない。

立法事務費 は昭和28年に施行された法律で当時、議員一人当たりつき月65万円(だと思ったが)が会派を通して議員に支払われていた。
よって会派を通して議員に支払われていたので新生党には直接支払われていない。

マスコミが騒いでいる旧新生党のものとみられる資金が政党支部を経由し資金管理団体「陸山会」から平成21年の衆院選直前に公認候補89人に計4億4200万円配られたといわれる資金の中に税金は含まれていないと考えるのが普通である。
国から直接支給されていないお金を「国に返納せよ」という方がおかしいと考えるのが普通ではないですか?岡田幹事長・・・。

そもそも、今回の件とは別に、今まで解党して政党助成金を国庫に返納した例はない。
新生党に所属していた岡田幹事長がこれらの事情を知らなかったはずは無く、問題があれば、其のとき発言していたはずだ。今頃になってとやかく言うこと自体がおかしい。
新生党の政治資金はおそらく小沢さんが一人で集めた資金が大半を占めていたのではないか。
「政党助成金制度」が施行されるのを機に新進党を発足させた経緯からも推測される。

岡田克也幹事長は、陸山会が配布した資金の原資が新生党の解党時の資金だとして国庫への返納が望ましいと主張しているが、原口氏は「民主党にも旧民主党、新進党、自由党から入りこんでいる。それも返せと(言うのか)」と反論した。
という原口氏の発言はもっともである。

そもそも、陸山会からの資金提供により多くの議員が衆議院選挙で当選したわけで、小沢さんは自分の政治資金を民主党に寄付したようなものである。それにより政権交代が実現した。
民主党が政権交代を果すために自らの政治資金団体から資金提供した小沢さんに民主党は感謝すべき立場にあるのではないか。
党の幹事長としての立場を考えた場合、批判するのではなく、むしろ小沢さんにお礼を言うべきではないのかとさえ思えてしまう。
其の他にも、小沢さんは多くの私設秘書を選挙の応援に派遣している。
民主党に対する小沢さんの貢献度は、はかり知れないものがある。

菅首相や前原氏、岡田氏は、小沢さんに物申せる立場にはない。
首相や大臣になれたのは、一重に小沢さんのおかげである。

その小沢さんを排除しようと考えることの正当性がどこにあるのか。
「恩を仇で返す」とは正にこのことを言うのであろう。
こういう人たちの末路がどうなったのかは歴史が物語っている。

2010年12月4日土曜日

税制改革で庶民の暮らしはどう変わる。

国の財政が苦しいのは良く理解できる。
しかし、それを庶民からの血税で穴埋めしようとする姿勢には賛成できない。

最近の菅内閣の動きを見ていると、完全に増税路線に舵をきったように思われる。
消費税はもちろんのこと、所得税の配偶者控除・扶養控除などの各種所得控除や相続税の税率及び基礎控除の引き下げなど、次々と話が出てきている。
他方で、法人税の引き下げや贈与税の税率引き下げなどの話も出てきている。
全てに反対なわけではないが、この経済状況下、増税が景気に与える影響の議論がほとんどなされていないことが不思議でしょうがない。

そもそも消費税は欠陥部分が多く、問題点をまずはっきりさせるべきだ。
所得控除の廃止については国民に詳しい説明が必要だ。
家計所得の減少が続き、介護保険や健康保険料などの負担は増加する一方の現状の中、低所得層や大学生を持つ家族などに対する対応をどうするのかの説明も無いまま増税議論がすすんでいる。

話は変わるが、インタネットのYAHOO(ヤフー)の検索エンジンがGoogleに変更なる。
一部のプラウザでは対応済みになっている。(私が使っている OperaやGoogleクロームではすでに変わっている。)
私もいくつかのホームページを運営しているが、この判断を歓迎している。
検索サイトでかけたいキーワードでの検索順位が上位(20番以内)であることが、非常に重要になっている現在、私の作ったホームページはGoogleとの相性が非常にいい。もちろん作り方やコンテンツの内容もより重要なことはもちろんだが、今までのYAHOOの検索結果には納得がいかなかったのも事実である。

検索エンジンのアルゴリズムも日々改良されており、大変賢くなっている。
検索順位はホームページに対する評価だともいえる時代になってきた。
小手先の対策でどうにかなる時代ではなくなりつつある。
地道にコンテンツを作り上げていくことが重要だ。

政治の世界でも同じようなことがいえるのではないだろうか。
地道な活動と王道を歩むことが、国民の政治家への評価に繋がるような仕組みが必要なのかもしれない。

2010年12月3日金曜日

ウィキリークスは世界を変える。・・・内部告発はマスコミの専売特許だったのでは?

内部告発サイト「ウィキリークス」が話題になっている。
賛否両論ある中で創設者ジュリアン・アサンジ氏の「常に生命の危険に晒されている」という言葉が現実味を帯びてきた。
そもそも、内部告発をスクープするのは新聞・週刊誌などのマスコミの専売特許であったはずだが、この世界でもインターネットにお株を奪われ始めたようだ。
アメリカ政府は、ウィキリークスの情報公開は国家の安全保障を脅かし人命を危険にさらす上、偏った見方をしている可能性もあると繰り返し批判しているが、「内部告発」という点が痛し痒しである。

さて日本においては、臨時国会が閉幕した。
「学級会国会」と呼んでもいいような、小学校の学級会レベルの情けない国会であった。
国民も菅内閣の情けなさ、未熟さ、一貫性の無さにうんざりではなかろうか。
野党に対しても同様な思いであろう。

菅首相は自民党との大連立を画策しているとの情報もあるが、それができるだけの力量があれば臨時国会で苦労はしていないはずだ。
そもそも大連立は小選挙区制においてはそんなに簡単なものではない。小選挙区から選出されている議員の思惑が絡むためだ。そして連立を組む相手との力関係が大きな意味を持つ。

連立云々を言う前に、党内をまとめる努力をすべきである。
それもできない内に連立を考える菅首相の頭の中が見てみたいものである。
小沢さんに頭を下げて教えを請うぐらいの度量を見せては・・・。
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