2012年2月29日水曜日

福島原発事故独立検証委員会:菅氏の混乱指摘・・・トカゲの尻尾切りにするな

原発事故対応における当時の菅政権への問題指摘は、今後も続いて出てくるだろう。
しかし、これは菅前首相だけの問題ではない。もちろん菅前首相の責任が重いことは言うまでも無いが、当時の枝野官房長官をはじめとする官邸のメンバーの責任も問われなければならない。
彼らが菅前首相の暴走を止められなかった責任は重い。加えて彼らには「情報隠蔽」「安全デマの拡散」に関する疑いがもたれている。これらについても検証が必要だ。
加えて当時の岡田幹事長をはじめとする民主党執行部が積極的に原発事故対応に取り組まなかったことも忘れてはいけない。(殆んど何もしなかった。)
本来、政府と政権与党が一緒になって取り組むべき最重要課題であったはずだ。
「何事においても責任を取りたくない。」という当時の民主党政権の体質が如実に表れていると言っても過言ではないだろう。
そもそも、指摘されている点の根本原因が何処にあったのかを民主党内部で検証することが必要だろう。「前政権における原発事故対応」を政府と党の立場から総括する必要がある。そして「反省すべき点は真摯に反省する」ことで、この経験を生かし次の改善に繋げるという作業が重要になるはずだ。党独自に検証し反省するという姿勢が見られない点に民主党が抱かえる問題の本質が伺われる。

問題の本質と考えられる点の一部を取り上げてみよう。
①菅前首相及び、その周辺のメンバーに「他人の意見に真摯に耳を傾けるという姿勢」が欠けていたのではないか。
②震災・原発事故を利用し「自分達の実績を売り込みたいという功名心」が、心の片隅にあったのではないか。
③自分達だけの成績にしたいが為、「多くの支援の申出や助言などを排除」したのではないか。
自分達の能力を過信しすぎていたのではないか。
責任を取ることを過度に恐れてはいなかったか。
というような疑念と感想を持たざるを得ない。
小沢さんが協力する意向を伝えたにもかかわらず、一切の聞く耳を持たず、批判する人間は全て排除するという体質に最大の問題があったのではないだろうか。
幾つかの事故調査委員会が立ち上がっているが事故対応だけに限定せず多角的な視点からの検証をお願いしたいものだ。

「福島原発事故独立検証委員会」が27日、民間の立場から公表した東京電力福島第一原子力発電所事故に関する報告書では、菅首相(肩書は当時、以下同)の指揮の問題点や、政府の危機管理の不十分さが数多く指摘されている。
報告書は首相官邸の初動対応について、「(昨年3月)15日に対策統合本部が設置されるまで、菅氏に対する原子力災害時のマニュアルや関連法制について事務的な説明が一度も行われなかった」と指摘。首相秘書官らが六法全書のページを慌ただしくめくりながら、原子力災害に関する基本法制を一から確認していたことを明らかにした
菅氏の官僚に対する対応のまずさも記されている。
菅氏が「全然俺のところに情報が来ないじゃないか」といら立ちを表明するたびに、関係省庁が大急ぎで説明資料を作成し、報告に上がろうとするが、説明を開始してまもなく、「事務的な長い説明はもういい」と追い出されるパターンの繰り返しだったとしている。
菅氏は官僚不信を強め、個人的な人脈を頼って携帯電話で外部有識者から情報を収集。官邸スタッフには菅氏とブレーンの携帯電話でのやりとりの内容が明かされず、スタッフの1人は「何の責任も権限もない人たちが、密室の中での決定に関与するのは問題だ」と証言。枝野官房長官も「常に(任命を)やめた方がいいですよと止めていた」と明かしている。
報告書は、東電による原発からの撤退申し出を拒否したことや、東電本店に乗り込んで対策統合本部を設置したことを例に、菅氏の行動力や決断力について、評価もしている。
(2012年2月28日09時13分 読売新聞)

上記の記事の中の 「(昨年3月)15日に対策統合本部が設置されるまで、菅氏に対する原子力災害時のマニュアルや関連法制について事務的な説明が一度も行われなかった」とする点については異論がある。
官僚側にも問題はあるが、官邸内において役割分担もできず、完全な機能不全に陥っていたことの方が問題だろう。
官邸を仕切る立場である枝野官房長官が官邸と官僚を掌握できず、的確な判断による的確な指示も出せず、只、寝ないで記者会見ばかりしていたことの方が問題としては大きいと思うのだが・・・。(自分の露出機会を増やし、目立とうとした疑いがもたれる・・・)
本来なら記者会見は他の誰かに任せ、迅速な情報の収集と分析に基ずく的確な指示を関係者に出すことに集中すべきであったはずだ。
その枝野氏が、原子力行政を管轄する経済産業大臣であることに大きな違和感を覚える今日この頃である。

2012年2月28日火曜日

政治・経済のキーワードは「格差」と「負担」・・・根本にあるのは、人口問題とグローバル化

日本やEUなどの政治経済問題根本にあるのは格差負担の問題であると考える。



格差といっても地域間格差世代間格差所得格差職業格差教育格差など亘る
負担においては大まかに「応能負担「応益負担分け考えることが出来るだろう。通常はこれらを纏めて「応分の負担」と呼ぶ場合が多い。
この格差負担密接に関連しており切り離して考えるべきではない



ではまず格差ついてEU例にして考えてみよう
現在のユーロにおける財政危機の問題主に南欧集中ているEUという経済圏の中で地域間格差起きているいう見方も出来る
ギリシャなどでは公務員優遇という職業格差財政悪化の大きな原因なっいるそれらによ所得格差拡大しそれが次の世代にも引き継がれ教育格差職業格差原因となるこのような連鎖政治経済の停滞活力削ぐ要因なっている
格差の固定こそ活力削ぐ最大要因でそれは頑張って報われない社会作り出国民から「夢や希望」奪い去る
このことは今の日本にもそのまま当てはまる
ここで注意しなければならないのは格差現役世代間だけの問題ではなく次世代にも引き継がれると言う点



次に「負担」についてEU例に考えて見よう
ギリシャをはじめとする財政危機陥った国の救済で一番の課題なっているのは救済ための資金を誰がいくら負担するのかという問題である
これについてはEU以外の先進国にもIMFなどを通して救済資金拠出求めているしかし問題となっているのは当事者であるEU各国の負担割合であるここでは「応分の負担」めぐって駆け引き続いている
つまりEUという経済圏で一番利益受けている一番受益者であるドイツが最大の負担すべきであるという意見一方にありもう一方ある程度はドイツが負担するのは最もだが加盟各国もそれなりの応分の負担すべきだと言う意見ある点だどちらも根本的には同じなのだが負担割合どうするのかでは意見が割れている
直接当事者でないドイツ国民からなぜ他国の財政再建のためドイツ国民が負担しなければならないのという反発生まれるのもわからなくは無い
ある意味EUという一大経済圏ユーロという通貨統一された一大通貨中でより大きなメリット受けた国とメリット享受できなかった国との間に生じた格差問題が根底にある考えるべきだろうEUユーロ圏かえる根本的な問題解決この格差どう解消していくかにあるように思えてならない
そしてこのような格差は経済においてはグローバル化によって財政面において先進国における少子高齢化などの人口問題などによってより拡大富の偏在生み出している


応分の負担について本来受益者負担与益負担という二つの側面からも考える必要があるしかし通常は受益者負担についてしか語られることはない今後 与益者負担 についても考える時代がくるだろう



最初書いたように負担大まかに「応能負担「応益負担分けて考えることができる
そして負担保険料あるいは利用負担と言う形で負担することになる
しかし現在の日本の制度においては長い間に、これらの負担についての考え方が、なし崩し的に歪められてきた経緯がある。そのため、色々なところで齟齬が目立ち始めた。
そして「応分の負担」という言葉が、政治や官僚組織に都合のいいように利用されてきた経緯がある。
一例として「障害者自立支援法」があげられる。
これは以前の措置制度から改正を経て「障害者自立支援法」が成立し 「応能負担」から「応益負担」に変更になった。これにより重度の障害を持つ人ほど負担が大きくなり、所得の少ない家庭では、サービス利用を減らさざるを得なくなった。つまり本当にサービスが必要な人であるにもかかわらず、収入が少ない家庭では、思ったようなサービスが受けられない状況が発生した。また、サービス提供時間に上限が設けられたことにより、上限を超えた部分に関しては10割負担を強いられることになった。

このように、「都合のいい応分負担」という名の下に財源の問題が最優先され、本当にサービスを必要とする人に必要とされるサービスが提供されず、国の福祉サービスも「お金が有るか無いかで受けられるサービスの量に格差がでる状態」が発生した。(憲法違反の判決が出ている。)


本来「社会保障と税の一体改革」というのであれば、まず「格差に対する対応」「負担のあり方」に対する考え方を最初に議論すべきである。
「負担のあり方」が、政府や官僚組織に都合のいい「応分負担」という言葉で歪められ、消費税増税も、その「都合のいい応分負担の考え方」を前提に語られている。

そして、国民が知らないうちに2重課税ならぬ2重負担を強いられている部分があることも、国民は理解する必要がある。
「税金」と「保険料」、「利用者負担」という別々の徴収システムにより「負担の中身」を国民にわかりにくくすることで、知らないうちに先進国の中でも「負担率の高い国」に分類される国に至った現状を国民は知る必要がある。
負担と受益についても、よく考える必要がある。日本は政府が言うほど、負担に対するサービス(受益)の質は高くない。







2012年2月27日月曜日

民主党:反小沢グループは弾切れ最近!・・・そろそろ「一体改革の嘘」をカミングアウトしては?

今日は少し下品な話題で・・・。

民主党野田首相前原政調会長見ていると何故か気色悪くなる
彼らの中に「ホモっぽい臭い」を感じるからだろうか
同様に彼ら一般の人と較べて自己愛異常に強い側面が見受けられるからだろうか
何故か松下政経出身議員には同様な臭い感じる
私は同姓自己愛悪いと言っているわけではない
アメリカなどでは有名な俳優さんが堂々同性愛カミングアウトしているそれで人気が落ちるわけでもない州によっては同姓婚も認められている


言いいこと何事も隠すことはよくないということだ。
堂々とカミングアウトしても実力があれば認められる時代なってきたということだ。
しかるに野田前原氏には残念ながら、その実力欠けているようだ
同様に野田政権も社会保障税の一体改革消費増税だけが目的の一体改革であることをそろそろカミングアウトすべきだろう
そもそも彼らの実力で消費増税実現することが不可能であること明白なってきた現在において堂々と消費税増税引っ込める勇気こそが求められるのではないか


マスコミなどでも政局話題の中心になりつつある
幾つかの視点から分析してみたい
一つ目が民主党党内情勢からの分析である
もし野田首相解散も総辞職しなかった場合には9月民主党の代表行われることになるそれまでに総辞職した場合含め
其の場合民主党内から誰が立候補するのか
小沢グループに焦点当てて考えた場合切れ状態なりつつある
野田・・・政治生命賭けるといった社会保障一体改革法案が成立しなければ議員辞職
前原氏・・・言うだけ番長呼名定着党内でも実力グループから逃げ出す議員・・・。
・・・今まで何かしたクリントン女史稚児失礼誰が支持するの
岡田氏・・・民主党崩壊危機に陥れた張本人一人選挙弱し人間味なし
枝野・・・原発事故対応当事者情報隠蔽疑い誤った情報発信責任を問われる立場にあり論外
安住・・・論外
・・・論外
代表焦点は選挙」と党の立て直しであり「小沢さんの復権」と最大グループである小沢グループ動向であることは誰も目にも明らかだろう
選挙焦点なれば支援団体との関係重要になってくる。連合などとの人間関係も重要になる。
何より選挙選を戦える選挙参謀重要になってくる
選挙が近いこれが前回前々回代表選大きく違う要素である



また、それ以前に小沢さんが党内で復権しているのかどうかも大きな要素になる。
其の場合、選挙責任者の立場で復権している可能性が高い。
もし反小沢グループ一本化できたとしてもさすがに今回は中間派議員も投票できないだろう
これらの点が民主党内の政局から見て一番重要な点だろう。
よって、前々回に菅氏を支持し、前回に野田氏を支持した日和見議員達が、一番、立ち位置に困る状況に追い込まれつつある。(反小沢グループとの距離感の取り方に苦慮しつつある。)


二つ目が、政界再編という視点からの分析である。
これには主に二通りが考えられる。

①既存政党単位での政界再編
②政党が分裂し、政策中心の各党のグループ同士による政党再編に伴う政界再編
よくマスコミなどで「政界再編」という言葉が使われるが、正確には「既存政党同士によるよる政界再編」と「政党再編に伴う政界再編」に分けて考える必要がある。
現在の政治の混迷の原因に、これらの「政界再編」の可能性が過って無いほど高まってきていることがあげられる。
民主党も分裂状況、自民党も分裂状況、社民党も分裂状況というように、「政党再編に伴う政界再編」の下地は出来上がっており、何かをきっかけに一気に政界再編に火がつく恐れも考えられる。
しかし、誰も先を読むことが出来ない。誰も、恐ろしくて火をつけることが出来ない。
しかし、多くの議員が「政党再編による政界再編」の必要性を感じていることも事実である。
であるから、各政党において、何も決められない状況が生まれているのである。



つまり、現在の政治状況は「何でもあり」の状況になりつつあり、国民の期待も「既存政党単位での政界再編」から「 政党が分裂し、政策中心の各党のグループ同士による政党再編に伴う政界再編 」への期待に変わりつつある。
しかし、これらの複雑な連立方程式を誰が解明し、誰が火をつけ主導するのか・・・。

民主党内の動向と「政党再編に伴う政界再編」は密接に連動している。
そして、またしても、その中心にいるのは「小沢一郎」である。








2012年2月24日金曜日

小沢裁判関連:虚偽報告書作成で検事から聴取・・・裁判の今後を予想してみる。

検察内部での任意の事情聴取が始まったようだ。
検察は甘い考えで担当検事達を処分すると大変なことになるだろう。


今回の件で大きな役割を果たしたのが市民団体による田代検事の告発である甘い考えで不起訴処分にすれば、検察審査会に告発されることになるだろう。
実はこの展開が外野の視点から見た場合、一番面白い展開である。(面白いと言う表現は妥当でないかもしれないが・・・)


田代検事が検察審査会に告発された場合、検察審査会は受理せざるを得ないだろう。
再度、検察審査会に国民の注目が集まることになる。ネット等での関心も高まることから、さすがにインチキソフトを利用したイカサマ審査員選任は難しいだろう。偏った審査補助員の選任も今回は難しいだろう。

前回の小沢さんの場合には、あまりにも情報が少なく監視の目も無かった。今回は多くの国民の目が集まる中での検察審査会であり、いい加減なことは出来ないと思うのだが・・・。(少し不安)
ここで「起訴相当の議決」が出た場合、検察官役の指定弁護士が選任され、検察側の立場で裁判を行うことになる。


片や弁護側には陸山会事件を取り調べた検事が被告席に座ることになる。(弁護人は誰が務めるのだろう?)
当然、東京地検特捜部は検察側の指定弁護士に全ての関係書類を提出することになり、そのことで捜査の全貌が明らかにされる可能性が高い。


攻守ところを変え、取り調べた側が取り調べられる側に廻るという「前代未聞の裁判」が展開されることになる。上司や同僚検事の関与も問われることになる。


現実に、このような展開になるかは不確定だが(検察が厳しい処分を下す可能性も否定できない)、もし、このような展開になれば小沢さんの裁判や秘書3人の裁判は意味を成さなくなる可能性がでてくる。
裁判の結果次第では「担当検事(被告人)らによって行われた、小沢一郎(被告人)を刑事被告人に陥れることを目的とした、仕組まれた捜査」という、常識では考えられない捜査が行われたことが実証されることになる。
もし、この裁判で検察側の組織的な、意図的な違法捜査が明らかになれば、例え小沢さんや秘書3人に「推認による有罪判決」が下されていたとしても、その判決自体が破棄される可能性がでてくる。(何しろ、事件性は皆無に近く、直接証拠は何も無く、刑事事件に該当するのかも怪しい案件である)


あくまで推測を元にした予想であり、楽観的な見方であるが、こうならないという保証もない。
もし、検察幹部や裁判所の幹部がここまで想定していると考えた場合、どのような判断をするのかが注目される。



記事:

小沢一郎民主党元代表(69)が政治資金規正法違反に問われた陸山会事件に絡み、捜査報告書に虚偽の記載があった問題で、東京地検が、報告書を作成した元東京地検特捜部所属の田代政弘検事(45)(現・新潟地検)を任意で事情聴取したことがわかった。
田代検事は公判の証人尋問での説明と同様、「過去の取り調べと記憶が混同した」と主張したとみられる。同地検は当時の上司らからも聴取した上で、田代検事を虚偽有印公文書作成容疑などで立件するかどうか判断する。
捜査報告書は、田代検事が2010年5月17日、同会元事務担当者・石川知裕衆院議員(38)(1審有罪、控訴)を任意で再聴取した直後に作成。東京第5検察審査会に提出され、小沢被告への起訴議決の根拠の一つとなった。小沢被告の事件への関与を認めた理由に関する石川被告の発言が記載されていたが、石川被告が聴取を隠しどりした録音記録にこの発言はなかった。

(読売新聞より抜粋)


冷静に考えてみれば、検察の捜査内容と起訴・不起訴の判断を審査する「検察審査会」に最も相応しい案件になるかもしれない。
このことにより、検察、裁判所のあり方が問われ、「取調べの可視化」や「取調べにおける弁護士の同席」などが推進されれば思わぬ副次効果が生まれたことにもなる。

いやはや、何とも興味の尽きない事件である。
それにしても、小沢一郎という政治家の凄さを改めて感じされられた。

消費増税案、先行提出へ 社会保障関連法案と切り離し・・・「言うだけ民主」の幹部達

このブログでも何度か書いているように、「名ばかりの一体改革」であることが明白になってきた。
いよいよ本性を表して法案を分離し、消費税の増税法案を先行提出するようだ。
彼らは、事ここに至っても、国民の民意が読めていないようだ。これでは国民の信頼を失うばかりだ。
国会で成立する可能性がゼロに近い「社会保障改革案」を餌にして、「消費税増税法案」を先に成立させようとした目論見は、ほぼ崩れさろうとしている。
現政権には「言うだけ番長」と呼ばれる前原政調会長に代表される「言うだけで、やる気が無い」という体質が染み付いている。

最初から「社会保障と税の一体改革」ではなく、「税とオマケの社会保障との一体改革 と言っておけばよかったものを誤魔化そうとするから、余計に信用と信頼をなくすのだ。誤魔化そうとするから、後で辻褄が合わなくなる。
小沢さんは、当初から「野田首相は正直に国民に言うべきだ。」と言っていた。
いい悪いは別として、正攻法で正面から正直に訴えないことには、国民の信頼と支持が得られないことを小沢さんは指摘していた。
消費税の増税は小手先の政治テクニックで成立させられるような案件でないことを小沢さんは理解している。
これで、増税法案の提出が、より厳しくなったことは間違いない。

消費増税と社会保障の一体改革について、野田佳彦首相は法案化作業が遅れている一部の社会保障改革法案を切り離し、消費増税法案を先行して国会に出す方針を固めた。増税法案は3月13日の閣議決定・提出をめざすが、「一体改革」は名ばかりとなりそうだ。
閣議決定した大綱には、消費税率を2015年10月までに段階的に10%へ引き上げることを明記。社会保障改革の目玉では、厚生年金と共済年金を統合する被用者年金の一元化や、厚生年金の適用をパート従業員らに広げる内容も記した。
この年金一元化や厚生年金の適用拡大などは与党内に反対論が根強く、法案化作業が難航している。民主党の前原誠司政調会長は23日、記者団に「被用者年金一元化は作業上の理由で、3月の閣議決定から外す」と明言した。(朝日新聞より抜粋)

さらに、「歳入庁の創設」も岡田副総理が握り潰すつもりのようだ。
ここでも「財務省の言いなり内閣」の本性を表し始めている。

つまり、現政権及び民主党執行部の一部の議員らは「口先だけ」で「アリバイ作りに励み」、「出来ないことを出来ると言い」、「何もしないで」、「やりましたと言う」小学生のような言い訳をする幼稚な集団だということが判明した。(前からわかっていたことだが・・・)

国民の生活は二の次」で「財務省の意向が第一」、「アメリカの意向が第一 」の「自分の生活が第一」の政治家らによる「自分勝手政権」とも「売国政権」とも呼べる「イカサマ政権」であることが判明した。(前からわかっていたことだが・・・)

最近、「一体となった迅速な党運営」とか「スピード感のある政権運営」とかが世論調査などで国民の期待の声として取り上げられている。(反対派に対する批判としての取り上げられる場合が多い)
しかし、「口先だけで出来もしないことを言い、実行しようとする努力も見せない」側に最大の問題があるのではないだろうか。(増税についてだけは熱心のようだが・・・。)
つまり、彼らが問題となるような案件ばかりを最優先に持ち出すから、物事が進まなくなり、反対せざるを得ない状況が生まれる。
彼らが『「一体となった迅速な党運営」と「スピード感のある政権運営」を進める上での最大の障害』であることを国民は理解すべきだ。
まずは障害となる彼らのような癌細胞を手術で取り除くことが最優先事項のように思えてならない今日この頃である。


2012年2月23日木曜日

小沢裁判:事実は小説より奇なり・・・想定の範囲外のことが起きることもある。

「事実は小説より奇なり」
昔、NHKで「私の秘密」という番組をやっていた。(かなり昔なので50歳過ぎの人しか知らないかもしれない。)
司会者は当時NHKアナウンサーであった高橋圭三さんで、番組の冒頭の挨拶では「事実は小説より奇なりと申しまして、世の中には変わっためずらしい経験をお持ちのかたがたくさんいらっしゃいます」がきまり文句であった。
今回の陸山会事件は、正に「 事実は小説より奇なり 」という言葉が当てはまりそうな感じになってきた。
枝野クン流に言うならば「想定の範囲外のことが起きた。」と言えるのではないだろうか。

話は少し横道にそれるが、最近、BSテレビで見ていた韓国ドラマ「あなた、笑って」が最終回を迎えた。
普段はアメリカのテレビドラマを中心に見ているが、何故かこのドラマにはハマってしまった。(笑)
登場するカン・マンポク(チェ・ブラム)という、おじいさんが最高にいい。(ドラマの詳細はコチラで
頑固でケチで偏屈なのだが、何故かやさしさを感じさせる。演技が実に自然で上手い。
このドラマの登場人物は、誰も個性的で存在感がある。中でもイ・ミンジョンという女優さんには完全にハマってしまった。(いい年をして恥ずかしいが・・・)
この女優さんは、若く見えるが今年30歳になる今、韓国で注目の女優さんである。ちなみに韓国の女優さんには童顔で年より若く見える人が多い。
韓国のホームドラマを見ていて気づいたのが、最初は嫌だと感じる登場人物も最後には、皆が良い人になり、最後はハッピーエンドで終わる場合が多いことだ。
登場するのは主に中流の大家族の家庭で、それらの家の造りはよく似ていて、広い板張りの居間に、日本でいうところのチャブ台がおいてあり、そこで家族全員が食事をする風景が描かれる。
テーマは主に「家族愛」で、儒教の教えが今尚、色濃く残っていることが伺われる。
また、 留学して海外で学ぶ学生が多いこともドラマから伺い知れる。
韓国のテレビドラマは週2日放映されるので、出演する俳優さんは大変だ。ゴールデンタイムはどの放送局もドラマで占められており、視聴率競争は激しい。ある意味、芸能人も消耗品扱いだ。
政界汚職やスポーツの八百長事件なども頻発しており、日本で感じるほど生活は豊かではないように感じられる。
しかし、その韓国も韓米FTAで国会は大変な状態にあり、与党内もバラバラの状況にある。且つ貧富の差が広がり、国民の不満も高まっている。若者の失業率も高く、ドラマで描かれるほどハッピーエンドではないようだ。

大阪の橋下市長の「小中学生にも留年・・・・」発言が話題になっているようだが、もう少し本質を語るべきだろう。
今の教育現場は「いいところを伸ばす」というよりは「悪いところを直す」ということに主眼がおかれているように思えてならない。いい例が「内申書」であり、先生の言うことを守る生徒は評価が高く、そうでない生徒は学力とは関係ないところで評価が下げられる。
我が家の息子2人は先生に逆らってばかりいたから内申書の評価は低く、高校進学では一ランク下の高校へ行かざるを得なかった。
全ての子供が勉強が出来るわけでもなくスポーツが出来るわけでもない。それぞれの子供が持つ「いいところ」「得意なこと」を伸ばす教育こそが大切ではなかろうか。
授業についてこれない生徒を、周りが少しでも応援してやれる環境をつくることこそが大切ではないだろうか。
そして家族が子供の声に真摯に耳を傾け、時には厳しく、時にはやさしく接し、子供が自ら進んで勉強したりスポーツをしたりする環境を作り出してあげることが大切ではないだろうか。
私の一番上の息子は、高校のときクラスで下から2番目の成績だった。カミさんが三者懇談に行きたくないというので私が出席し、先生に言い切ったことがある。
「いくら周りが、どうのこうの言っても本人がやる気をださなければ、だめだと思いますよ。」とはっきり言ったら、先生は何もいわなかった。(ちなみにこの息子は最初にいった大学が不満で、再度、自分で勉強し直して東京の大学に進学した。何も言わなくても、親が驚くほど試験勉強をしていた。)
何も成績がいいことだけが教育の成果ではない。少ないながらも人間関係などを経験し「人間性」や「社会性」を磨くことも大事な教育だと思う。
出来る子ばかり集めるのがいい教育環境だとも思わない。「お互いを気遣い」「助け合い」「自分の弱点に気づく」ことを学ぶことも教育の成果だと思う。
「本人がやる気になる」環境をつくりだすことも重要だ。
そして「家族を大切にする気持ち」が自然と身につくような教育であって欲しいと願っている。

「強者だけでは社会は成り立たない」という自然界の摂理は人間界にも当てはまると思う今日この頃である。




2012年2月22日水曜日

小沢裁判:虚偽記載の共謀を取り調べる側の検察が虚偽の報告書作成と共謀で取り調べられる結果に・・・。

笑い話
政治資金収支報告書への虚偽記載の共謀を取り調べる側の検察が虚偽の捜査報告書作成共謀で取り調べられる結果に・・・。

いやはや捜査報告書虚偽の部分内容元に作成された別の捜査報告書当然のことながら虚偽の捜査報告書になる。
これらの捜査報告書上司了承上で検察審査会提出していたわけであるから作成した検事は捜査報告書虚偽記載した容疑問われそれを了承した上司は虚偽記載共謀問われることになる
これってどこかで聞いたような・・・。
まるっきり事件の構図ではないか
事件を取り調べる側が同様な容疑逆に取り調べられる側に廻るというなんとも不思議皮肉様相呈してきた
最早お笑いの世界だ落語のネタにできそうだ



肝心の事件の方は虚偽の記載ないことがほぼ証明されている検察虚偽記載としている政治資金収支報告書への不動産の取得関する記載が何ら問題ないことが専門の大学教授の法廷証言で明らかにされており動機関係ないことも法廷証言で明らかにった。
当然問題のない記載であれば共謀する理由も無いわけで、罪に問われることも無いはずである。



ところが検察側の虚偽の報告書作成は悪質だ。
陸山会事件では被害者は誰もいない。誰も損害を受けていない。総務省からも問題を指摘されていない。
今回の検事による虚偽の捜査報告書作成では、明らかに「小沢一郎」が被害を受けている。
冤罪に陥れようとする悪意が感じられる。
この問題は小さな問題ではない。もちろん虚偽の捜査報告書を作成した検事たちを厳しく取り調べることはもちろんのことだが、上司、及び捜査に関係した検事達、そして捜査を許可した人間も含めた捜査が求められる。
検察という特殊な組織では、上司との関係は「親分と子分」のような関係にある。子分達だけで勝手にやったとは考えられない。当然のことながら、共謀した疑いがもたれる。



そして、この構図は大阪の「村木事件」とも、ソックリである。
検察側の証人(村木事件の主任検事・前田恒彦)が「小沢さんは無罪」と証言し、検察の捜査を批判するという検察にとっては、なんとも不様な結果を招いてしまった。


小沢さんは村木さん同様、無罪判決がでたら、損害賠償を求めればいい。
村木さんは確か3000万円だったように記憶しているが、小沢さんは10億円くらい請求すればいい。
ついでにマスコミなどにも莫大な損害賠償を求めればいい。
そして、もらった損害賠償金を東北大震災で大きな被害を受けた地元岩手県に寄付すればいい。

マスコミにもキツイお灸をすえる必要がある。
まだ裁判の結果が、どうなるかわからないが、少なくとも検察庁や検察審査会を実質所管している最高裁の幹部は、裁判の結果云々どころの騒ぎではなくなってきているに違いない。
何故なら彼らの責任問題にまで発展しそうな雰囲気になってきたからだ。











朝日:「小沢氏の説明は虚偽」地検捜査資料、弁護側に開示・・・検察審査会の起訴相当議決までが一つのストーリーだった?

通常の常識では有り得ないことだ。
検察やっていることはどう考えても辻褄が合わない醜い行為

つまりこのことにより陸山会事件そのものが刑事告発秘書の逮捕小沢さんの取調べ不起訴処分検察審査会への告発不起訴処分⇒検察審査会における2度の起訴相当議決強制起訴裁判まで、一つのストリーであったことが推測される
目的は小沢一郎の政治生命絶つことであり官僚組織政治権力マスコミなどの既得権益中の一部の人間達の暗黙の了解下に行われた暗黒捜査あったことが伺いしれる
小沢一郎有罪判決が最終目的でなく政治生命絶つこと」主眼おかれた暗黙の共謀の上に行われた人物抹殺活動とも言い換えることができる。


記事:
民主党元代表・小沢一郎被告(69)の強制起訴を決めた検察審査会に対し、東京地検が提出していた捜査資料が21日までに、検察官役の指定弁護士から小沢氏の弁護側に開示された。資料には、小沢氏の特捜部への説明を「虚偽だ」と評価した捜査報告書などが含まれていたことが分かった。
検察審査会は非公開で、審査に使われた資料が明らかになるのは極めて異例。

小沢氏の弁護側は、「検察は検察審査会をあざむいており、起訴議決は無効だ」として公訴(起訴)の棄却を求めている。今回の資料に、小沢氏の起訴を誘導する中身がないか分析し、公判に証拠請求する方針だ。
開示されたのは、東京第五検察審査会の1回目の審査で「起訴相当」議決が出た後、2010年4~5月の再捜査で特捜部の検事が上司あてに作成した捜査報告書5通など。検察側は小沢氏を不起訴(嫌疑不十分)としたが、どのような証拠や関係者の調書があり、政治資金規正法違反の罪に問えるかを検討した過程などが記されていた。(朝日新聞デジタル版より抜粋) 




田代検事の捏造捜査報告書に続き、小沢さんを事情聴取した検事も小沢さんを起訴議決に誘導する内容の捜査報告書を作成していたことが明白になった。ストーリーに沿った組織犯罪といっても過言ではないだろう。
そもそも、本来なら検察側から「これこれの証拠や調書があるが、斯々然々の理由で起訴に至りませんでした。」という「検察が不起訴処分にした理由を記述した捜査報告書」が提出されていなければおかしい。


ところが、田代検事の捜査報告書といい、小沢さんを事情聴取した検事の捜査報告書といい、中身は明らかに小沢さんの起訴議決を誘導する内容だ。
捜査報告書に小沢氏の特捜部への説明は虚偽だ」なら何故小沢さんを起訴しなかったの明らかに矛盾している。虚偽と評価した理由を明らかにする必要がある。

そして、それらの捜査報告書は当然のことながら上司の了承の上で提出されたものであることは疑いようが無い。上司も一蓮托生であることは疑いの無い事実である。


しかし、彼らが起訴の根拠とするための直接証拠は一つも無く、捜査報告書も捏造されており、秘書の調書も信用性が疑われ重要な調書が証拠採用されなかったことで、検察審査会へ提出していた捜査資料全ての信用性も失われてしまった。
彼らは一人相撲を取り、勝手に自分で足を滑らせ転んでしまったことになる。


これらは、完全に犯罪である。
一人の政治家を抹殺するために、捜査資料を捏造、隠匿し検察審査会の議決を誘導することで自分達の手を汚さず「強制起訴」させた。(アリバイ殺人のようなものである。)
さらに指定弁護士の手により、「市民感情」を後ろ盾にマスコミ等の世論を味方に抱きこみ、あわよくば「有罪」、でなくても世論の批判の高まりで「議員辞職」に追い込むことを目論んだ。
これは一人の政治家を殺すという行為に等しい。



さらに、追求すべきは共謀者の存在の有無である。
この事件では、マスコミ、政治家、ジャーナリスト、法務、検察官僚などの一部の人間も広い視点から見れば共謀者と呼べるのかもしれない。
「当たり前でない社会」が存在することが浮き彫りになったことの意義は大きい。

今度は、それをどう改革するかが問われる。
しかし、過度の期待はできないような気がしてならない・・・。(残念だが・・・)


2012年2月21日火曜日

小沢一郎と菅直人・・・「静かにしていた方がいい」と言った菅氏が静かになった!

今日は少し気楽に・・・

一昨年の民主党代表選挙直後に「しばら静かにしていた方がいい。」と偉そうに小沢さんに放った菅氏が逆に静かにしている羽目に陥ったようだ。
マスコミへの露出も殆んど無くなり政局でも名前が取り上げられることは無い最早忘れられた存在になりつつあるつまり民主党内影響力皆無近いということである
では「静かにしていた方がいい。」と言われた一方の小沢さんはというと相変わらず政局のど真ん中にいる。この違いは何なんだろう。
一言で言えば「人間力の違い」ということでは、ないのだろうか。
もう一言付け加えるならば「真剣になって支えてくれる人間がどれだけいるか」の違いではないだろうか。
「口が上手い。(言い訳が上手い。)」「見栄えがいい」「少し人気がある。」「奥さんがよく喋る」等々だけでは、一国の党首は務まらないし、400人を超す大政党を纏めることは無理だということなのだろう。


ロマンチックコメディー映画に「ラブ・アクチュアリー」という作品がある。
【あらすじ】12月のロンドン、人々は幸せなクリスマスを迎えようと、ささやかな夢を胸に毎日を過ごしていた。秘書に恋をした英国首相、義理の息子との関係に悩む父親、ポルトガル人のメイドと恋に落ちる小説家、夫の浮気に気付き、悶々とした日々を過ごす熟年の主婦、親友の恋人に思いをよせる新進画家、新曲のクリスマスソングに起死回生を賭ける元ロックスター――。クリスマスに人生のクライマックスを迎えることを、誰もが願っていた。そしてイブの夜、全てのドラマが、ハッピーエンドに向かって動き始めた。様々な人々の「愛」についての物語。goo映画より抜粋)
この映画、軽いラブコメなのだが出演している俳優の顔ぶれがすごい。
ヒュー・グラント
リーアム・ニーソン
エマ・トンプソン
アラン・リックマン
コリン・ファース 

ローラ・リニー
キーラ・ナイトレイ 

etc
洋画や海外ドラマ好きの方なら、よくわかると思うが錚々たるメンバーだ。
この映画の中にイギリス首相役で登場するのが「ラブコメの帝王」と呼ばれるヒュー・グラントである。この役者さんは「ダメ男をやらせたら世界一」という、喜んでいいのかどうかわからないような称号を与えられている。
このヒュー・グラント扮する独身のイギリス首相(少し軽すぎるとは思うのだが・・・)は首相に着任早々、秘書に恋する。直後に女好きのアメリカ大統領がイギリスを訪問し、イギリス政府に対し次々と強気な要求を出してくる。
対するイギリス首相は、当初「穏便に波風を立てない」という日和見の姿勢を見せるのだが、アメリカ大統領が思いを寄せている秘書にキスしたことから、腹を立て態度を豹変させる。(笑)そして共同記者会見で外交上の宣戦布告をしてしまう。
強気の姿勢で「イギリスは小さい国だがすばらしい国だ。アメリカの言うなりにはならないぞ!」とハッキリ言いたいことを言う。パンチを一発カマしてみました発言は、それまでのアメリカの態度に不満だった閣僚や国民に拍手喝采で迎えられる。何故か見ている方もスカっとする。
映画だからと言ってしまえばそれまでだが、日本の首相にもアメリカ大統領にハッキリ言いたいことを言い、一発カマして欲しいと思うのは、私だけでしょうか。


余談だが、この「 ダメ男をやらせたら世界一 」のヒュー・グラントという役者さんはダメ男どころか、危機管理に関しては超一級の役者さんである。
私生活では1995年、滞在先のアメリカにおいて売春婦(Divine Brown)と公道に停めた車の中で猥褻行為に及んでいたことから逮捕される。恋人エリザベス・ハーレイとの破局説も流布されたが、彼は実直にスキャンダルを正面から認め、謝罪して回った人柄と対応の早さを評価されてか致命的な人気の凋落にはいたらなかった。
また、2004年の『ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12か月』でもネタにするなど、ダメ男俳優のスパイスとして有効に利用している。
2000年にハーレイと破局。しかし友人関係は途切れることはなく、2002年にハーレイが長男ダミアンを出産すると、ダミアンのカトリックの洗礼式に代父として出席した。
2007年4月、グラントは近所に住むエリザベス・ハーレイの写真を撮ろうとした写真家のIan Whittakerに暴行を加えた容疑で逮捕されたが、7月2日に証拠不十分と状況を考慮し無罪となった。(wikipediaより抜粋

普通ならラブコメ俳優として致命的な事件を2度も起こしているのに、今だ人気を保っている。
それどころか事件をネタにする、したたかさも持ち合わせている。
「ダメ男をやらせたら世界一」というイメージを逆手に取り、「 実直にスキャンダルを正面から認め、謝罪して回った人柄と対応の早さ 」で危機を乗り切っている。この点は、日本の首相にも見習ってもらいたいものである。
更に別れた恋人とも友人関係を保持し、いい関係を続けている。こういう人間的な部分も評価されているのだろう。
この点も、ある意味、危機管理において重要な部分かもしれない。

私は、モテないから、そんな心配をする必要がないのだが・・・。(何故か寂しい・・・)

最後にこの映画に出てくる私の好きな曲を皆さんに!

「恋人達のクリスマス」

2012年2月20日月曜日

小沢裁判と今後の政局(2)・・・民主党内からの更なる造反

小沢さんの裁判影響を民主党内からの視点見てみた。

この裁判は秘書3人裁判と、ほぼ一体とみて間違いないだろう今回の多くの調書不採用と検察捜査への厳しい批判小沢さんの裁判のみならず秘書3人裁判にも大きな影響を与える多くの捜査メモなども秘書3人裁判において検察側弁護側から提出求められることになるだろう。
検察小沢さん裁判終わったとしても秘書3人の裁判苦しい裁判が続くことになる。

前に何回か書いているように小沢さんの裁判は検察側にしてみれば他人事裁判あったはずがそれどころか自分達の悪事ばらされる裁判になってしまったさらに今後の秘書3人の裁判で更なる悪事がばらされる可能性高くどのように幕引き計るのか注目される
更に、これらの裁判は司法の問題や検察審査会の問題も炙り出したことで、更なる広がりを見せ始めている。無関係とはいえない大阪の村木事件とともに、小沢さんが自身の裁判で法務・司法と安易な妥協をせず対決する姿勢を貫いたことの意義は大きい。

では本題に入ろう
小沢さん裁判では今回重要な調書不採用無罪の可能性高くなった。(まだ安心はできないが・・・)
このことの民主党与える影響は大きい
選挙事情とは別に次の二つのこと考えられる

党内における小沢さんの復権
小沢グループの離党
という相反する二つ事柄の可能性が高まったことにある。つまり、どちらでもいい状況が揃いつつあるということである。

これは民主党だけではなく自民党に与える影響おいても同様なことがいえる。
について言えば与野党問わず多くの国会議員が民主党立て直せる力があるのは小沢一郎しかいない内心では思っているしかしその強制起訴と裁判で制約され民主党内おいても座敷入れられたことで封印されてきたが封印が解かれる可能性高くなったこと小沢さんの党内での復権が現実味帯びてきたことにある
自民小沢批判に明け暮れ離党執行部要求している裏には小沢さんの復権により民主復活すること恐れているという事情がある。彼らは小沢さんが怖いのである。

つまり、今まで「反小沢」のスタンスだった人たちにとっては許しがたいことであり、自分達の立場が脅かされることになる。且つ現状のままでいけば党内から「民主党の再生は小沢さんにしか出来ない」という声が高まることも考えられる。
つまり「小沢さんの復権=民主党の再生」という期待感の高まりが党内で湧き上がる可能性も否定できなくなった。それしか民主党が生き残る道がないと民主党の議員が考えるかどうかが鍵で、そうでなければ大半の議員が「頓死」する可能性が高い。
このことからも、今後は小沢グループ以外の反小沢グループの議員の造反や離党の可能性が高まることが予想される。



についていえば小沢さんの離党新党結成小沢さんに有利に働く可能性高くなったことにある。つまり新党を立ち上げて戦う為の条件が揃い始めたということである。(裁判により、小沢さんの正当性が証明されることになる。)そして小沢さんが一貫してブレることなく「改革」を訴え続けてきたことが、プラスに働き始めている。



何故大阪の人気が高いのか
このことを考えれば
次期総選挙の焦点が見えてくる。それは改革への期待他ならない国民が民主党もダメ自民党もダメと考えているのはこれらの政党では改革出来ないということへの裏返しである
そんな中、国政レベル考えた場合改革出来る思われる政治家はもはや小沢一郎しか残っていない
つまり国民が期待する「改革の実行」という点に関しては、小沢さんと橋下氏には共通する部分がある。ここに大きなポイントがある。


しかし、ここで考えなければならないのは地方自治と国政とは違うという点である。
橋下氏らが国政に進出できたとしても、過半数を獲ることは不可能だ。
また政権を獲らなければ改革はできない。
そういう視点から見れば、小沢さんが地方政党のパートナーとして注目されるであろう事は容易に予想できる。
愛知の大村氏にしても、名古屋の河村氏にしても、そして大阪の橋下氏にしても将来のことを考えた場合、誰と組むのが最もベターな選択かという計算をするだろう。(彼らは計算高い)
百数十人という議員を束ねる小沢さんを魅力的なパートナーと考えても何ら不思議ではない。
しかし、小沢さんが他の政治家と違う点は、自分からは卑屈に擦り寄らない点にある。相手が人気があったとしても自分の政治理念は絶対に曲げない。そこが逆に、彼らにとって信用ができ魅力に映るのかもしれない。地方政党の国政進出においても小沢さんはキーマンである。

ここで少し大阪の橋下氏について個人的な感想を述べたい。

今まで橋下氏については一度もコメントをしてこなかった。というのも国政に進出した場合に、どれ程、活躍できるか計りきれない部分が多かったことが大きな理由だ。
率直に言えば、あまり好きなタイプの政治家ではない。ペラペラとよく喋る人はあまり信用しないことにしている。
彼は超リアリストである。いい意味で言い換えれば超現実主義者であろう。

しかし、どこかに危険な臭いを感じさせる部分がある。
彼の手法は府民、市民の支持を背景に、ある意味強引な部分がある。しかし、少なくとも現実の問題の捉え方については、大いに評価できる。押したり引いたりの駆け引きも思いの他、上手い。
しかし、国政で活躍できるかと問われれば、かなり懐疑的にならざるを得ない。国政レベルの政策においても、私個人としては、あまり評価していない。
「人間としてのやさしさ」と「政治家としての品格」が感じられない点に不満を感じる。
「有能なら、いいではないか」という反論もあろうと思うが、一国のトップには、それ以上の何かが求められるのではないかと常々、感じている。
しかし、地方自治体レベルでの行政官の長としては非常にリーダーシップのある有能な人物だと思う。

あまり欲を出さない方が彼の為だと思うのだが・・・。 若いので、今後の成長に期待したい。








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