2011年4月4日月曜日

安心・安全とは?・・・それは心の中にある物である。

政府や原発事故批判をすると官憲に逮捕されそうな今日この頃、皆さんお元気でしょうか。
被災地の皆様のご苦労とご不安に対しあらためてお見舞い申し上げます。
先が見えないことに対する不安が心や身体に与える影響は測り知れないものがあります。
被災地の皆さんの心の中にある不安を少しでも和らげる対策が最優先されるべきです。

ここで安心と安全について少し考えてみたいと思います。
安心の対局にあるのが不安です。
なぜ不安になるのか?
それは「安心であると確信できる情報」が無いことによる場合が大半です。
よく映画で周辺の人が次々に殺害され、次に自分が狙われるのではないかという不安に陥るシーンがあります。
自分を狙っている犯人が誰だかわからない場合はより一層、不安が増幅されます。
犯人が推定され犯人に関する情報が分かれば、不安は大きく減少します。
対策が取れるからです。(対処ができる。)

安全の対局にあるのが危険です。
危険を回避するにはどうしたらいいのか?
危険に関する正確な情報を入手することが安全への第一歩です。
危険な場所が正確に分かっていれば、人々はそこを回避して移動します。
危険がわかっていれば危険に対する準備をすることができます。
それらにより不安を和らげ、心の安全を取り戻すことができるようになります。

どちらの場合においても情報の入手がもっとも重要な点であることにかわりはありません。
そして、ここで大きなポイントになるのが「情報の正確性」と「情報の量」です。
もう一点が「情報の客観性」と「情報の中立性」です。
これらの条件を全て満たすことは難しいのが現状ですが、最終的には個人が判断する問題です。

一方的で恣意的な少ない情報しか与えられない場合、個人レベルでの判断基準が限定的なものになってしまいます。
これが大変、危険なのです。
「正確な情報」だと思っていた情報が「正確な情報」では無かったという場合です。
ここで「情報の客観性」と「情報の中立性」が重要になってくるのです。

今回の原発事故において一例をあげると原発から20KM圏内の放射能測定値がほとんど公表されていない点があげられます。
この情報が公表されていないことが、周辺の住民の「不安」と「危機感」を高めていることです。
周辺地域での公表値の安全に対する信頼性を下げているのです。
農産物に関して言えば「出荷停止・摂取制限」を出しておきながら、片方で「健康に影響はない」というような「判断しにくい」情報の発信です。

今回の福島原発事故における情報発信のあり方の問題点の一つに挙げられるのが、大学教授などの原子力の専門家と称する人達によるコメントです。
実はこれらの方々の話は「卓上の理論」を元にしたものであり「現場の実情」を元にした話では無いことを、よく理解した上で聞かなければなりません。

実際の原子力行政における検査機関の職員が全て原子力の知識を持っているわけではありません。
むしろ「素人」の方が多いことや原子力発電所の建設に携わっている技術者が「原子力に対する知識」をあまり理解していない人達が多いことなども理解しておく必要があります。

「技術立国日本」などと言われた時代もありましたが原子力発電所の現場では「現場で働く專門技術者」が圧倒的に不足している現状も理解すべきです。
むしろ現場では「素人」が中心で作業が行われていると考えた方が間違いないのかもしれません。
それが今回「人災」と呼ばれている大きな根拠の一つで有ることは否定出来ません。

「安心」や「安全」を言うばかりでなく「不安」や「危険」について正確で客観的な情報を発信することが「心」の安心につながることをよく理解した上での情報発信が望まれます。

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