2011年4月28日木曜日

検事と東電とマスコミの話は有毒な放射能と同じだ!・・・身体に悪い影響を与える。

陸山会事件の裁判における検事の証言もいい加減なものだが、東電の記者会見の発表もそれに劣らずいい加減なものだ。
原発事故当日のデータを未だ公表もせず、「計器の故障、見間違え、計算違い」の乱発である。数週間後に、「間違っていました」と言われても「はいそうですか」と簡単に納得できるものではない。
またそれを疑いもせず、そのまま発表する政府やマスコミも同類だ。

福島県周辺の皆さんをはじめ、国民の原発事故に対する関心は高い。
ましてや、原発周辺の皆さんは避難を余儀なくされ、生活の基盤を失う危機に直面されておられる。
原発事故に関する情報に一喜一憂されておられるはずだ。
情報もある意味、目に見えないものである。
その情報が心に不安を与えるものであれば、身体や精神にも何らかの悪影響を及ぼす可能性がある。
その意味においては、放射能と同じだ。
「直ちに健康に影響はない」かも知れないが、少し希望が持てる情報が出た後で「間違っていました。」と言われた時のショックは大きいものがある。

東電だけでなく政府の責任も大きいのだが、「原発事故当初の報道」が、どうであったかを検証する必要がある。
「電源が復帰し冷却機能が回復すれば大丈夫」「これくらいの放射能であれば直ちに健康に影響は無い」と、必要以上に安心を煽ってはいなかったか。
「20KM範囲以外の地域には広がらない」と言ってはいなかったか。
それらの情報を信じた人たちが今、政府や東電に「裏切られた」と感じるのは当然のことだ。
それらの情報を御用学者を通して流したマスコミの責任も大きい。

その半面で、原発事故で大幅に電力が不足すると言って首都圏や関東地域の住民の不安を煽ったのも政府や東電、マスコミである。
本当に電力が足らなかったのか?
計画停電は本当に必要だったか?
それに対する答えも未だ聞こえてこない。

危険や不足を事前に知ることで「対応」と「心構え」ができる。そのことが「安心」に繋がる。
急な対応がどれだけ多くの住民に「不安」や「不信」を与えるかを政府や東電は認識する必要がある。

枝野何某という官房長官の「後で言い訳ができる言い回しに終始する記者会見や責任逃れの発言」など最初は騙された人も多かったが最近では、ボロが出始めたようで信用がなくなってきている。

被災者が聞きたいのは、「口当たりのいい言葉」ではない。
真摯に被災者の声に答え、「確実に実行できる具体的な施策」と「被災者とともに難局にあたる」という覚悟の声が聞きたいのである。
自分達の要望に迅速に返答してくれることを希望しているのである。
会議、会議で時間ばかりかけていて、返答が遅れることに対する住民の苛立ちを現政権の幹部は理解していない。

避難所での生活や、これらのことが複合的に重なることで、被災地の住民の「心の健康」が病魔に冒されていく。
強い心を持った人が多くいることも理解している。
しかし、そうでない人も多くいることを施政者は常に頭の中に置いておかなければいけない。

何より、政府や東電から[強い危機感]が感じられないと思っているのは私だけであろうか・・・。

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