2012年1月24日火曜日

やはり出た「更なる増税が必要」・・・ギリシャ化へ一直線

やはりと言うか当然と言うか更なる消費増税必要という発言政権内部及び幹部から出てきた何でも16%程度消費税率上げないとプライマリーバランス均衡とれないそうだ

そんなことは言われなくてもわかっている
日本経済全体縮小しデフレ続いていれば当然、予想されることで昨日述べたように現状のままで消費税 5%程度上げた程度では社会保障の維持充実どころか財政再建の糸口にもならないことは誰にでもわかることだならば何故最初からそう言わないのだ国民を馬鹿にしている
だから多くの国民小沢さん達は増税をやる前にやることがあるだろう言っているのだ。(まずは現状の改革を最優先・・・構造的な問題の解決を優先)

そもそも、今の年金制介護医療制度根幹にある考え方崩壊しているのに小手先対応しようとしていること自体無理があるのだ
基本的に今の年金介護医療制度インフレ前提であり経済成長していくことが前提にある更に国民の平均寿命は80ぐらが限界だろうという前提設計されているこれらの全ての前提崩れてしまった現在抜本的な改革をしなければ持続可能な社会保障制度ならないことを多くの国民は理解している。しかし、これらの改革にはもう少し時間がかかる。その前に優先して、やらなければならないことが山積している。(大きな改革は経済が安定した状況でないとできないし、又やるべきではない。)
まずは「国内経済の立て直し」「地域分権の推進」「公務員制度改革」「行財政改革」「少子化対策」「税制や税体系の見直し、税負担の公正化、年金の上限額の見直しなどによる所得再配分機能の強化」「国の資産の有効活用」などを速やかに実行することが大前提となる。実現可能な目標を立て期限を区切って実行するぐらいの覚悟が必要になる。これらを「血のにじむような努力」で推し進めた後でないと本当に必要とされる財源額が算定できない。(真の財政再建目標が立てれない。)

どのような日本の将来像を描くのか?目指す社会保障制度の全体像とは?
そして、そのために必要とされる経済成長率は?出生率の目標値を何人に設定するのか?税の直間比率をどのような数値に設定するのか?etc
これらのことを考えないで現状の数値をもとに財政再建目標を作成すれば当然のことながら「消費税率16%程度が必要になる」という結論になるのは、当たり前の話だ。
では「消費税率を上げれば全て解決するのか」と問われればNOと言わざるを得ない。
消費税率16%でやっとプライマリーバランスの均衡が取れるとするならば、国債残高を減し本格的な財政再建路線に乗せるには、更なる増税が必要になる。国民生活が破壊されるだろう。
野田首相や岡田副総理らは「日本を破壊させようとしている」としか思えない。
すべからず、話の順序が逆だ。

更にもう一つ言わせてもらえば、現在の経済と財政状況が続くという前提で計算すると消費税率10%で国の税収に占める消費税の割合は48%(消費税税収予測25兆円/国の税収予測52兆円)となり世界で比率が一番高いフランスの50%とほぼ肩を並べる。消費税率が15%になれば税収に占める消費税の割合が60%を越す世界でもっとも消費税に財政を依存ずる国になる。ただしGOPが更に落ち込めば、比率は更に高くなる。
日本は他の先進諸国と比べて基幹税以外の「その他の税収入」がもっとも多い国で10数%もある。直間比率で見た場合、消費税率15%の場合には間接税収入が税収全体の70%を越す極めて歪んだ税収構造を持った国になる。税制全体のバランスを考慮する必要がある。

では今のままで消費税をドンドン上げていったらどうなるのか?
日本のギリシャ化である。
増税により国内経済は縮小し一般国民の生活は困窮するが公務員の数と給料は減らず、更に経済の縮小に伴い税収全体も減少する。財政再建どころか更なる財政悪化を招き「公務員天国」と呼ばれたギリシャと同じような道を辿ることになる。

野田、岡田、安住氏らの頭の中の構造はどうなっているのだろう。彼らの頭の中の構造改革が先に必要ではないかと思う今日この頃である。


5 件のコメント:

通りがけ さんのコメント...

「地位協定スパイ防衛省と経産省に対する日本人常民の心の連帯闘争」

311以後沖縄の住民は自分が防衛省の攻撃を受けて先祖伝来の土地を奪われようとして苦しむ中から、被災地福島の住民が政府の棄民政策によって先祖伝来の土地財産を根こそぎ奪われようとしている苦痛に深く同情し、土地の少ない狭い島だが心は誰より暖かい住宅支援を打ち出している。
>>「沖縄県が福島県民に住宅支援」カナダde日本語さまhttp://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-3153.html

沖縄の人々の世俗の虚栄に無欲な、ただ自然を畏敬し生命を尊ぶこの心の美しさ温かさはどうだろう。
>「震災を節目にこれまでの古い日本から脱皮しよう」
>(転載)
「沖縄の原則とは『 ぬちどぅ宝 』。沖縄の言葉で、命は尊いという意味です。これは武器や暴力を嫌う沖縄人の表現です」と語り、20年間沖縄へ通うとマコーマックさん。
「沖繩は、国家に抵抗する市民お民主主義の力を見られる場所です。

ここでは、県全体が抵抗しています。だから日本とアメリカという地球上で最も強大な2つの国が、この小さな県に対して政策をおしつけららないのです。私は、沖繩では人々が歴史をつくっていると思います」

普天間基地移設予定地辺野古沿岸部。キャンプシュワブゲート前で毎週訴える、建設業者の渡具知さん。
マコーマックさんの滞在中、北部東村高江では米軍ヘリパッド建設の強行がされようとした。高江を訪れるマコーマックさん。年間6000人の兵士がこの森で訓練を行っている。

1996年北部訓練場は部分的に返還されることに。ただし、ヘリパッドの機能を高江周辺に集中的に移転する条件付き。 それまで政治運動にかかわったことのない安次嶺さんらは現場から抵抗を続けてきた。
人口160人の高江を囲むように6つのヘリパッドを建設し、墜落の危険を伴うというオスプレイ配備も検討されている。(検討されているのでなく配備)市民運動などしたことのない住民が建設反対に座り込みを始めた。

守りたいのは自分たちの暮らしと自然。 彼らは国家レベルのの安全保障については語らない。 語るのはここは民主主義の国なのだから、 住民がいらないと言うなら新しい基地は要らないということ。

安次嶺さん「福島からの移住者がたくさんいる。 来たくても来れない人いっぱいいる。 原発を田舎のほうに建てて、絶対安全ですと言ってたのに地震でもろくも崩れた。 田舎の弱みにつけこむ、原発も基地も中身は一緒」

福島と沖縄、 国家の骨格作る時、官僚が決めたこと、 「東北を東京の消費のため原子力エネルギーの精算拠点にしよう。 沖縄は防御のための場所としよう」と。

2011年は、3・11東北大震災と原発禍、9・11同時多発テロから10年、ソビエト連邦崩壊から20年という節目。日本の基盤を揺るがす災害事故や世界の枠組みが激変してゆく中で2012年が幕を開ける。

マコーマック氏は「日本と世界の未来を考える上で今最も重要な場所」を訪問。
日本と世界の未来に向けてグローバルスケールのメッセージを伝える。
(転載終わり)


震災前から沖縄高江と上関祝島の住民は連帯しており、憲法違反最高裁判決を振りかざした国の暴力(防衛省防衛局、国交省海上保安庁の強制執行実力暴力排除)に対して非武装で憲法を掲げて連帯して戦っていた。

震災前から沖縄の米軍基地反対派と岩国の米軍基地反対派は、防衛省の憲法違反最高裁スラップ判決を後ろ盾にした国民の財産を強制収用する暴虐行政執行に対して、非武装平和憲法を掲げて連帯して戦ってきた。

311後その国家権力にいわれなく虐げられ続けてきた沖縄県在住国民が、国の放射能ヒバクシャ棄民政策強制執行テロに徹底的に虐げられる福一ヒバクシャ国民へ連帯した。冒頭の避難住居無償提供が連帯のはじめの一歩である。

祝島も岩国も沖縄に続いて福一ヒバクシャ支援に乗り出し、福一被曝避難者住居無償提供を行うべきである。上関には立派な公的施設が遊休しており岩国には愛宕山という広大な住宅適地があるのだから、立派な支援が十分できる能力がある。
米軍基地に奪われ圧迫されて土地の少ない沖縄県がお金や物ではない「心で連帯する」心からの支援に乗り出した今、沖縄よりも恵まれた上関や岩国の住民国民がそれを座視拱手傍観するような自分の交付金や箱物だけが後生大事では、日本人の心がないと言われても反論できない。

今あるなけなしのもので支援する。義を見てせざるは勇なきなり。金じゃないよ、心だよ。これこそが日本人の心意気である。

>岩国市長選挙、本日告示!~米軍住宅地の新規造成も焦点のひとつに!(情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄さま
>>http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/605d4b6bcddd4843fe43fe2c21574301)
>※1:「防衛省闘う岩国に1000万人が350円ずつ寄付しよう!~防衛省のアメとムチ政策にノーを!」
>★寄付は終了しています。

直近1月29日の岩国市長選挙ではいずれの市長候補も米軍基地容認、愛宕山防衛省への売却容認であり、防衛省の交付金を誰がより多く取ることができるかだけを競う防衛予算ぶん盗り合戦に堕落し、米軍基地返還を第一に主張する独立不羈日本人候補がひとりもいないとは、日本国民として政治家政治屋どもの志の呆れるほどの低さが情けない限りである。政治家も市民の中から選ばれる存在であるからして、市民自身の猛省を促したい。

市長という地方自治体首長の立場で防衛省が配る交付金という金銭目的の乞食ねだりをいつまで続けるつもりであろうか。そもそも防衛省予算も交付金も我々国民納税者が働いて稼いで納めた税金なのである。防衛省などという下僕風情に勝手放題にバラマキ汚職交付金として使わせてはならないであろう。おねだりどころか逆に堂々と公明正大に今までの汚職で防衛省が国民から盗んだ予算を全額賠償返還するよう防衛省を訴追追及しシーザーのものはシーザーへ、国民のものは国民へと返還賠償させてやろう。

地位協定を直ちに破棄して米軍に基地使用料を米軍自ら基地地元住民自治体へ支払うよう請求書を突きつけよう。払えなければ法に従って基地を変換させ、粛々と日本国領土から退去する国外退去命令を出そう。これで全国内の米軍基地が全廃できる。

通りがけ さんのコメント...

今年2012年1月の長周新聞に中部大学教授武田邦彦氏が寄稿している。題は「「善良」ではなかった日本の「指導者」」。
ほかのメディアで目に触れないので全文をタイプしてアップする。誤字脱字は各自で修正ください。
(開始)

「善良」ではなかった日本の「指導者」   中部大学総合工学研究所教授  武田邦彦

 2011年3月に起きた福島原発事故ほど「日本の指導者は善良でない」ということを白日のもとに晒したことは無かったかも知れない。これまでも第二次世界大戦などで醜悪な指導者像が描かれてきたが、戦争はあまりにも要因が多いので、その評価は紛れが生じる。その点、福島原発事故は起こったことが単純で、その被害が甚大であるという点で、指導者の姿をハッキリと映し出した。
 ▼福島第一原発が爆発する可能性が高いことが判ったのは、現実に爆発した前日の夜だった。原子炉内の冷却が不能になり、温度が上がってきた時点で発電所は「爆発の可能性が高い」と判断できる。その時点で発電所長は福島の119番(消防)に緊急の退避を要請する必要があった。
 原発を運転させてもらっているのは地元が了解しているからで、真っ先に運転を認めてくれた地元住民を避難させる必要があった。すでに石油コンビナートでは40年前から「火災の場合、上司に連絡せずに、現場が直接119番しろ」と指導しているし、法律でも「火事を見て119番に連絡しなければ放火同然」とされている。
 今回の事故で現場の活動が賛美されているが、事故を起こして通報もしなかった現場をほめることは誠意ある社会ではない。むしろ119番せずに東電本社に連絡した行為は実質的に「傷害罪」である。
 ▼福島第一原発から大量の放射線が漏れ出した3月12日夕刻、政府やNHKに出ていた東大教授は「遠くに逃げろ」と言った。原発事故では原発から放射線が襲ってくるわけではなく、放射性物質が風で流れてくるのだから風下にと逃げることがもっとも被曝総線量を高める。事実、飯館村の人々は風下に逃げて一日以上、被曝した。
 さらに東大教授は「被爆は距離の二乗に反比例して弱くなる」と繰り返したが、それは原発から放射線が直接来る場合であって、そんな場合は起こりえない。仮に強い放射線が原発から直接、発せられているとすると福島第一原発構内にいた東電関係者は強いダメージを受けるはずである。これほど簡単なつじつますらとらず、いたずらに住民を被曝させた。
 ▼伝え聞くところによると、NHKをはじめとした主要なマスコミの記者は数日内に無人の固定カメラなどを福島から退避したという。そして地元には「直ちに健康に影響はない」と繰り返し、それを信じた住民は普通の生活をしていた。
 約一ヶ月後、退避した記者が防護服を着て線量計を携帯し、おそるおそる福島に入ってみると、住民は普通の格好をして生活をしている。聞いてみると「健康に影響はない」と言うからそのまま生活をしていると答える。線量計を持ちながら被曝を減らそうとしている記者は自分たちが何をしたのか理解していなかった。
 事故直後に起こったことをマスコミは正直に伝えたほうが良い。そのほうが今後のマスコミに対する信頼性が上がるだろう。マスコミだけが糾弾されないという状態は長期的にはマスコミを腐敗させるだろう。
 ▼原発事故では流れてくる放射性物質を避けるのがもっとも大切であり、そのためには風の向きが大切である。気象庁はIAEAに直ちに風の状態を報告したが、国民には「担当が違う」という理由で公表しなかった。一週間後に批判を受けて公表したが、「これは国民に知らせるものではない」という注釈をつけて英語で公表した。
 気象庁が風向きを事故後すぐにIAEAに報告していたのに、NHKは二週間経った後、「震災で壊れていた風向計が復旧した」という理由で福島の風向きを報道し始めた。初期被曝がおわってからだった。
 さらに重要なのは気象学会が「国民が混乱するから研究社は福島の風向きの情報を出さないこと」と驚くべきアナウンスをした。これに対して学問を守る立場の学術会議は何も言わなかった。もともと原子力基本法で「公開の原則」が決められたとき、学術会議は「すべての情報の公開を意味する」というステートメントを出している。学術会議は学問から離れて権力と利権の場になった。

つづく
つづく

通りがけ さんのコメント...

つづき
 ▼事故から数日経つと、東大教授は「胃のレントゲンが一回600マイクロシーベルトであるのに対して,線量は20マイクロに過ぎない。たった30分の1である」と繰り返して発言し、それをNHKが放送した。20マイクロというのは一時間で被爆する量であり、一日は24時間だから480マイクロになり、10日間で8回のレントゲンを撮るのと同じになる。
 「かけ算のできない東大教授」ということだが、もちろん知っていてウソをついたのだから、実質的に傷害罪である。
・・・・・このような悪意のコメントと誤報が延々とつづき、多くの人が被曝した。政府は住民が退避するためのバスを一台も出さず、寒風吹く福島に置き去りにした。
・・・・・そして九ヶ月。政府は相変わらず国民を被曝させるのに懸命である。特に政府ばかりでなく、自治体、教育委員会、研究している医師などが国民を被曝させるのに懸命になっている。既に半減期が八日のヨウ素は無くなり、放射性ヨウ素で大量に被爆した子供たちの被曝履歴を調べることもできない。
 ▼セシウムだけで一年5ミリシーベルト(全核種で17ミリと推定、1キロ500ベクレル)と決められていた九食の基準を、政府はあまりにもひどいということで40ベクレルに下げる決定をしたところ、17都道府県の教育委員会が「測定する機械がない」という理由で500ベクレルを維持するように要請した。
 子供たちの被曝をどうするかの議論をせずに、「お金」だけを理由にしている。測定器は最高級(自然放射線を除けるもの)で300万円である。
 ▼日光は不幸なことに第一派の放射性物質が降下し、ホットスポットになった。観光客は外人が中心だが、自己前は一日三千人だったのに、二十人に減少した。つまり、自由意思なら日光にいかないという状態なのに、東京を中心とした小学校、地方の中学校が日光に修学旅行などに行っている。私が「行かないで欲しい」と校長先生に呼びかけると「昨年も行っているから」という返事があった。
 爆弾が落ちても新型インフルエンザが流行しても、昨年行ったので今年も行くという理由を言うのだろうか?
 ▼講演会でしっかりした栄養士のかたが「保護者が給食の不安を言って困る。ベクレルは測定していないし、どう答えてよいか判らない」と質問をされた。私が「腐っているかどうかわからないものや、毒物が入っているかどうか不明なものを給食に出すのですか?ベクレルが判らなければ捨ててください」と言ったら会場は大爆笑になった。言われてみれば保護者の心配はまともなことが判ったようだった。
 横浜市は市長が先頭にたって「被曝など何でもない」というパンフレットを作り、ずさんな給食管理をやっていたら、国の暫定基準値(実質年間17ミリ)も超える異常な牛肉や椎茸を給食に出していた。それが発覚すると横浜市の職員が「すみません」と謝った。謝って済む問題とすまないものがある。子供は食べたものをはき出せないのだから、市長は辞職しなければならない。
 ▼チェルノブイリでは牛乳が原因した小児の甲状腺ガンが六千人にのぼった。さらに福島原発では牛肉が汚染された。このような事実から子供を持つ親が心配するのは当然だが、牛乳メーカーは断固としてベクレル表示をしなかった。
 すでに甲状腺ガンの原因となるヨウ素は無くなった。それでも雪印の(ママ。明治の間違いと思われる:筆写者註)粉ミルクの汚染が報じられた。子供に牛乳や粉ミルクを買って貰っていた乳業メーカーはまったく食材を扱う資格がないことが明らかになった。
つづく

通りがけ さんのコメント...

つづき
 ▼群馬大学の早川先生(火山学)は早い時期から各地の放射線測定データをわかりやすい地図にして公表していた。その地図を頼りに移動したり、被曝を防いだりした人は多く、その功績は大きい。学問は国民が危機に陥ったときに、専門的な知識を活用して救うことが第一義である。ところが、群馬大学は原子力機関と提携していることもあり、学長が早川先生を処分した。理由は「事実を言って福島の人に不安を与えた」ということだった。
 あるテレビ番組で私はセシウム137が青酸カリより毒性が強い(ほぼ二千倍)を知らせるために、セシウムで汚染されている田んぼに稲を植えるのは青酸カリがまかれている田んぼに稲を植えるのと同じ」という趣旨の発言をしたところ、「学者が事実を言うのは不適切だ」というバッシングを受けた。学者が事実を言うとバッシングする時代である。
 事故から九ヶ月を経過した現在、お母さんは日本政府に絶望して、「我が子を守るのに私は何ができるの?」という行動に走っている。お母さんとしては万策尽きたのでやむを得ないが、民主主義においては「何ができる」というのは「政治を変える」ということである。
 日本は民主主義だから、お母さんが決めたことが政府の決定でなければならない。でも、たっぷりとお金(電気代)は政治家、官僚、学者、マスコミに流れていて、その力は強力である。
 しかも、日本の指導者層、とりわけ東大を出た人は「その時、その時で上手い言い訳をできる人」であり、「人格軽薄、口先だけ」である。それは教育の責任であり、大学受験などを容認してきた日本社会にある。
 教育は本来、本人の希望にそってその人が人生において必要なことを身につけるためのものである。最低限の知識として「読み書きそろばん」は必要であるが、それ以上は本人と保護者の希望にそって行うものであり、決して「他人より優れているか」が問題になるものではない。
 サッカーが好きな子がサッカーをやり、もし世界レベルに達すれば日本の力を世界に示すことになるが、それは最初から「日本のため」にサッカーをするのではない。それと同じように学業も「日本のために」という奉仕型ではなく、個人の幸福のために学び、その結果、世界的な学者も誕生するのが教育本来の目的である。
 ところが、現在の教育、特に国立大学の教育は「いかにして他人を蹴落すか」に主眼が置かれており、著者の経験では国立大学の大学院ですら、教授の講義に際して一番前の席に座り、講義中、ずっとグーグーと寝ていて恥じない学生は多い。「私は君たちを人間として見ているが、君たちは目の前の相手が寝ていても90分、話し続けることができるのか?」と諭さなければならないのが現状である。
 今、日本を指導している多くの人は、ゆがんだ教育と評価方法の中で、言い訳、裏切り、利己性などが巧みであることによって栄達している。このような社会体制こそが今回の事故とその後の政府、自治体、専門家、マスコミの言動となったと考えられる。
 善良な国民と誠実な国家・・・・・それこそが日本の基礎になるべきであり、東京で消費される電気を製造する原発は頭狂から50キロ圏内と決めることが求められる。
 (中部大学総合工学研究所教授)
(了)

通りがけ さんのコメント...

稀有な方武田邦彦教授が長周新聞にこの1月寄稿した論文をタイプしてアップしました。現在最終校正したものが
Goodbye! よらしむべし、知らしむべからずさま
「「善良」ではなかった日本の「指導者」  ~中部大 武田邦彦教授」
>>http://c3plamo.slyip.com/blog/archives/2012/01/post_2275.html
で掲示いただいてます。
是非武田教授の総括論文をごらんください。

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