2012年1月30日月曜日

人生の価値は長く生きることよりも、どう生きるかにあるのではないだろうか。

数日前突然叔母の頭に浮かんできたので昨日思い立って訪問した
しばらくぶりだったので涙を流して喜んでくれた
今年90歳なる叔母は元気そうで安心したが歳の話になると私に一言長生きしてよかったのか悪かったのか・・・と語った


仕事柄お年寄りと話す機会も多いが最近多くのお年寄りが同じような話をされる
長生きをすれば良いことも多くある反面悪い出来事に遭遇する機会も多くなることは紛れもない事実である家庭内のイザコザ目にし耳にする機会多くなる子や孫からお金無心される、お年寄り多いことと思う
長生きすることでしなくて済んだはずの心配する羽目になることも多くあると思う


しかしこれらの多くのお年寄り昼間病院いくかテレビを視ることぐらいしかやることがない野菜でも作っていれば別だがこういうお年寄り多い
かといって最近の地上派テレビはお年寄りが視たいと思うような番組は少ない
お年寄り専用チャンネルを作れば面白いのではないかと感じる今日この頃である

さて本日の本題は人間が長生きすることが必ずしも本人の満足度に繋がっていないのではないのかという疑問から生まれた
人生の目的は長生きすることにあるのではなくどう生きたかにあるのでないかという人間の生き方の本質部分の議論ある
シューベルトやモーツァルトなどの有名な作曲家短命であったが短い人生の中で多くの名曲作曲し後世残した画家などにおいても短命人は多い
医療今ほど発達していなかったことも原因あるだろうがかといって長く生きれば多くの名曲が作曲できということでもなさそうだ。
これらは特殊な例だが現状の高齢化時代において「人生どう生きるかもっと議論されてもいいように思う政府社会保障一体改革においてもこの部分は殆ど語れいないように思えてならない
しかしこの部分こそがこれからの日本の財政考える場合重要な部分となるように思えてならない


自分にやりたいことがあり且つそのことにより社会にも貢献できるそう考えている人は、思いのほか多くいる
自分のやりたいことにお金を使い社会のためにお金を使う
子や孫には余分な財産を残さず自分の人生のためにお金を使う
悔いを残さない人生生きるためにお金使う
実際に、自分のやりたいこと、自分の人生の目標を持っている人ほど早く退職し、生き生きとした第二の人生を送っている。生活のために働かざるをえない人がいることも現実だが、考え方一つで生き方も変わるのが人生だと思う。

高齢者層がお金を使い始めれば、国内の経済も活発化する。それらのお金は企業に或は個人に税金にと広く廻りはじめ、結果として税収の増加に結びつく。
よく、高齢者層の貯蓄が減ると日本の国債が消化できなくなるということを言うエコノミストがいるが、お金の総量が減るわけではない。お金が移動するだけなので心配することはない。寧ろ、お金の移動が活発化することで経済が活性化し税収が増えるので財政再建にもつながり、国債の発行額を減らすことになる。

そして、このことは世代間の不公平是正にも繋がっていく。
税制で世代間の不公平を是正することも一つの方法ではあるが、高齢者が色々な形で消費したり寄付したりすることの方が社会全般に与える効果は大きい。


安心して生活できる老後の姿」が国民に見えなくなってきていることが、高齢者の過剰な貯蓄という形に表れている。
「安心して生活できる老後の姿」が見えれば、 悔いを残さない人生生きるためにお金使おうと考える高齢者が増加すると考えるのだが・・・。増税だけで財政再建はできない。寧ろ増税は国民の財布の紐を堅くすることに繋がる。
財政再建=国民の財布の紐を緩くすること
と考えるべきだろう。






2 件のコメント:

通りがけ さんのコメント...

「親の心子知らず」のなかの「親の心」こそが人間に限らずすべての生きとし生けるものの「生きがい」なのではないかと考えるようになった今日この頃です。

通りがけ さんのコメント...

メルトアウトした核燃料の臨界暴走を止める石棺化は技術的には簡単です。パチンコ球サイズの大量の錫の金属球を原子炉の上部から流しこめば良い。

参照:「2011年8月15日月曜日
メルトアウトした燃料を冷却・固化するには、スズを用いた金属棺しか無いのではないか」
福島原発災害の見方さま
>>http://mononomikata-kerogg.blogspot.com/2011/08/blog-post_15.html

Template Design: © 2007 Envy Inc.